廻廊掃除の時に行う外の作務(主に掃き作務)のことをいう。
各寮舍から二、三人は日天作務に行く。
ニッテンに参加するとつらく厳しく怒鳴られる廻廊掃除に行かなくてすむので寮舍の中で誰が行くかいつも言い争いになったものだ。
法の如く、つまり天地の道理にかなったもののことを如法とよぶ。
転じて食品等をよぶ時、「如法のもの」といえば人参、白菜、キャベツ等の野菜「不如法のもの」といえば、肉や魚、ネギ、ニンニク等をさす。
永平寺では時計の代わりに山内の至る所にある「鳴らしもの」の音で行事がすすんで行く。
広く知られている大梵鐘や木魚、磬子の他、雲版、木版など覚えきれないくらい様々な鳴らしものがある。
一つの鳴らしものを合図に、次の鳴らしものが鳴るのでこれを間違えると全山に迷惑をかけてしまう。観光客が誤って鳴らしてしまい、怖い古参和尚達が現場に急行することがしばしばある。
自分も数々の鳴らしものをケチラシたが、その中でも最大のケチラシは平成十八年のお授戒で不老閣猊下の入堂の七下鐘を鳴らし忘れたというものだ。娑婆で例えると結婚式の新郎新婦入場でファンファーレが鳴らない、とというのより尚悪いくらい。
国際部時代からとてもお世話になっている周運さんという古参和尚がかわりに駆けつけて法堂鐘をならしてくれたが、当時殿長だった耕志兄は顔が真っ青になり卒倒しそうになったという。
寝ることも大切な修行の一つです。
永平寺では失敗することを「ケチラス」といい、失敗の事実を「ケチラシ」という。
お米を炊くのをケチラした、といった場合お米を炊き忘れたということになる。
ケチラシの中でも特に寝坊によるものを「ネチラシ」という。
公務等で二時間前起きで、一時半に起きなくてはいけなかったとしよう。
ふと気づくと時計はもうすぐ三時にならんとしている・・・
こんな時の雲水の反応は十中八九
「ヤベェッネチラシた!」
である。
永平寺で最もよく使われる言葉の一つで、「いつも通り」の意味。
「暁天如常」といえば暁天坐禅はいつも通り朝三時半からですよーということ。
転じて日常の様々な場面でつかうことができる。娑婆でいう「フツーに」にちかい。
おまけ 娑婆での使用例
#行きつけの美容院で・・・
美容師 「だいぶのびましたね・・・今日はどういった感じにしましょうか?」
星太 「如常で」
美容師 「承知致しました」
小庫院のばっちゃんのひとり。修行僧ではなく普通の人である。