unsui法純の「波蘭便り」

安心、安心


ポズナンにある円覚院に掲示板があり、ここでイベントのお知らせなどを見ることができます。
昔、この掲示板に仏教の十善戒を掲載しました。


不殺生 故意に生き物を殺しないこと。

不偸盗 与えられていないものを取らないこと。

不邪淫 みだらな性的関係を持たないこと。

不妄語 嘘をつかないこと。

不綺語 無駄な噂話をしないこと。

不悪口 乱暴な言葉を使わないこと。

不両舌 他人を仲違いさせるような言葉を言わないこと。

不慳貪 異常な欲を持たないこと。

不瞋恚 異常な怒りを持たないこと。

不邪見(因果、業報、輪廻等を否定する)間違った見解を持たないこと。





ある日、お寺で漢方についての講義があって、たくさんの人が参加してくれました。ほとんどは、仏教徒ではないひとでした。掲示板に載せた十重禁戒を見たかと思ったら、皮肉にコメントを出しました。


「私は仏教徒じゃなくてよかった。だって、嘘も付けないし、お酒も飲めないし、つまらないわ」とか。





仏教に興味を持っている人と話している時、よく仏教の戒律について聞かれています。彼らたちにとってこの戒律は人間の自由を束縛します。
かれらたちにとって、自由とは、何でもできるという状態のことらしいです。だから、嘘を付きたいなら、付きます。騙したいなら、騙します。


こいう態度は現代の社会、マスコミ、映画によって促進されていると思います。


それで、競争、
酷使、騙すといった質に基づいて、個人の性格ができています。


ポーランドでは市電、バスに乗る前に切符を買わなければなりませんが、バスに乗ってるあいだ、必ず車掌が切符をチェックするわけではありません。
だから人々は切符を買わず、バスに乗ります。


もしかすると、車掌さんが来ないと知ってたら、誰も切符を買わないかもしれない。


それから、バスを降りて、その人は嬉しくて、切符を払わずに済んだからです。しかも、みんな友達に褒められることもよくあります。


逆に言えば、たとえ車掌さんが来ないとわかっても、乗る前にちゃんと切符を買ったら、みんなに腰抜けと笑い飛ばされる可能があります。


きちんと切符を買うのも戒でしょう。





そのうえ、西洋に見れる禅は戒律と関係ないことです。いわゆる禅師は戒について説明してくれません。


よく分かれないんですが、鈴木
大拙 貞太郎老師は初めて西洋にいらっしゃり、禅のことを移入されました。


禅とは宗教でなく、儀式も越えるということをおっしゃったそうです。


その頃、アメリカのヨーロッパでヒッピーのファッションと思想が流行っており、みんな完全な自由を探していましたが、そいう禅は良い土壌に落ちた種のようだった。





私自身も、仏教を宗教だと考えているわけではないです。もちろん、宗教だと思っている人にとっては仏教は宗教なんですが、私にとっては宗教というよりむしろ道具です。自分の心を変質させるアプローチだと思います。


しかし、戒律がないというわけではないのです。


あるチベット仏教師はいつも「正法とはあなたの心を変化できるということです」。もし、数年後、あなたの心の中に怒り、やきもち、貪欲といったネガティブな感情があると、ただ偽善です。


一方では、もし、あなたの心が静かで、周りの人のことを大切にしたり、優しくしたりすると、仏道もまたまっすぐです。








しかし、戒律がないと、正しく座禅ができないと思います。もしかしたら、道元禅師のような上級な修行者でしたら、ただ座禅の光明で世界を照らせるが、
今の世界の中では、戒律は一番大事なことだと思います。





仏教では、三学ということがあります。これは
律、定、慧という三の仏教の修行の部分です。


律とはしなければならないとしてはいけないことです。


定とは瞑想の中で心の集中のことです。


慧とは般若ということです。つまり、真実を観ることです。





この三学は統一体です。戒を守って、座禅の中で「三昧」という特別な心の集中ができて、真実を成します。


逆に言えば、真実に至るために、座禅は戒守に基づくことが必要です。





戒律は自分の自由の制限というより、本物のフリーダムの道なんです
ー 心の安心です。





戒破をし、例えば、あなたが何かを盗んでしまった時、自分の心を観てください。


心は警察官に逮捕されるという恐怖に溢れています。
こいう心の状態でどうやって座禅をするのでしょうか。





もし、嘘を付いたら、この嘘がばれるということに気になります。


その時、座禅の時、自分の心を静にすることができるでしょうか。


無理に決まっています。これは座禅でなく、ただ時間の無駄です。





昔、自分の心に憎しみがある人が接心に参加しました。最初の日は大丈夫でしたが、3日間後、堂の静かさで、座禅と時その怒りのプレッシャーの程度を我慢できず、自分の母親に対して不敬な言葉を吐き出しました。





ヨーロッパでは、日本の仏教なんて戒律を守らないと聞いているそうですが、本当かどうか分かりません。


しかし、
一回座禅の時、向こうに座っている修行者が蚊を殺すのを見ました。
座禅が終わってから、みんな、「
四弘誓願文」という宣誓を唱えました。一つ目の句は、数限りない一切の衆生を救済しようと誓うことですけど。





ゴータマ・シッダッタ
(ブッダ)は「この末法の時代、もし、誰かが、一つしか戒を守らなかったら、まるで正法の時代のすべての戒を守る者のようになっています」と言われました。





戒は我々の人生を落ち着かせ、幸せにする力があります。


もし、なにも悪いことをしなくても、誰かに、責めつけられたら、
刑務所に入っていても、幸せです。清浄潔白だから。


それで、我々は本物の雲水です
ー 遊行する雲のような、流れる水のような無制限の心です。





仏教では「心が情状次第変わります」と言います。つまり、今、平和な時代、殺さないとか嘘を付かないという誓いを言いますが、戦争が起こったら、どうなるか分かりません。その時、敵を殺さないという誓いを言えますか。。


だから、仏教の安心とは、ただゾンビのような平和でなく、状況も変わっても、本物の安心ということです。それで、外の情状が変わっても、内の心は必ず安定です。この心の力を使って、凡夫の道に出ます。


それから、殺してはいけないなどという考え方でなく、自然のままに殺さないことにします。





先週、ポーランドにダライ・ラマ14世がいらっしゃいました。
残念ながら、仏教師としてではなく、チベット政治代表としてでした。しかし、ダライ・ラマのいつもニコニコしている顔を見たとたんみんな安心になるはずです。
ダライ・ラマ師はいつも世界平和に心の安心が必要だと言われます。


得に、現代のハイテクの施設の急展開の頃、内の平和も必要です。自分の中に平和がないと、外の世界を手伝うことができないと。つまり、心のテクノロジーということですね。





せっかくですから、ダライ・ラマ14世のダラムシャーラーの講義MP3を添付いたします。聴いていただきたいです:


The
Benefits of a Calm Mind.mp3


それではまた今度!


法純








(@ポーランド:ダライ・ラマ14世と子供たち)


HHDL14

2010/09/27

コメント(1)

はじめまして。
私は井上淳生と申します。
現在は札幌市内で社交ダンス(Ballroom dancing)の教師をしながら、北海道大学で文化人類学を学んでいます。

『波蘭頼り』、いつも興味深く読ませて頂いています。
「戒律は制約というよりも、フリーダムへの道」というお考え、
とてもおもしろい考え方だと思います。

今後ともよろしくお願いします。
いつかお会いできるのを楽しみにしています。

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