
数日前に、「聖☆おにいさん」という漫画を手に入れました。 殆どの西洋人の親日家と違って、僕自身は、漫画のオタクではありません。
しかし、始めて「聖☆おにいさん」という漫画を見たかったのは、このコミックスの主人公に興味を持ったからです ー イエスとブッダが主人公です。生まれたときから17歳の時までイエスの教えに育てられていて、その時から、今までずっとブッダの説教に従っております。
この漫画を読むと、やっぱりおもしろいと思います。しかも、可笑しいところもあって、うまくできてています。日本で人気があるに違いないと思います。
しかし、「お坊さんとして、これでいいですか。こういう風にブッダのイメージを使うのは大丈夫ですか」と聞かれたら、少し考えさせてもらいました。仏教徒にとって、 ブッダとは心の状態ですから、本人を別に起こらせるわけではないと思いますけど、コカコーラを飲んでいるブッダというコミックスは日本人の考え方がよく映っていると思います。
僕が尊敬しているチベットの仏教師は他の人のイメージとか写真を大事しなければならないとおっしゃれました (デスクトップにしないほうがいいと。コーヒーのコップのコースター など)、得に目覚めた方です。理由は簡単です。.尊重です。
去年、イケアという家具屋さんに特別な灰皿のオファーがあって、その灰皿の底はブッダのイメージが書いてありました。毎回、タバコを灰を落としたら、ブッダに灰が落ちるということになっています。
友達と一緒に、「仏教徒としてそいうことは私たちの宗教のオフェンスだ」という苦情を言いました。
その上、日本はどうか分からないのですが、ヨーロッパではブッダバーという特別なバーのネットワークがすごくはやっています。僕は、行ったことがないけど、友達が行って、料理はめっちゃおいしいと。しかも、ナイトパーティエーもあって、お嬢ちゃんが踊っているらしいです。
単にアジアン ビューティです。
僕は、今、「聖☆おにいさん」という漫画を見ると、なにか不思議な感じがあるものです。もし、誰かがこの漫画を読んだら人に意見を聞かれたら、ブッダの主人公がティシャツの上に何か書いていると分からなくて、ただ「可愛い」しか言いないに違いないと思います。
雲水喫茶と関係がある方はどう思われますか。
日本人のあなあにとってこういうコミックスはどいう意味がありますか。
あなた達にとってブッダとは何でしょうか。と本当に伺いたいです。
数月前に手塚治虫の「ブッダ」という漫画のシーリズを日本から注文しました。しかしながら、あいにく、ゴータマ・シッダッタの歴史が変わっています。まあ、面白かったけどですね。
最近も、日本の仏教についての「がんばれ仏教!」、「寺よ、変われ」「ブータン仏教から見た日本仏教」などの数冊の本を読むチャンスがありました。
この側から「聖☆おにいさん」の漫画について頭を悩ましています。
ポーランドの国民は殆どがカトリック教徒だと宣言していますが、イエスは説教された教えに離れている気がようなします、僕にとっては。
教会はよくキリスト教の言葉より、 政治と関係がある言葉のほうが出してしますと思います。しかも、信者を自分の目的を果たすのに、使わさせているらしいです。
今年の3月にロシアのスモレンスク飛行機の事故でポーランドの元大統領と他の95人が死亡しました。翌月の10日若いボーイスカウトのグループがワルシャワの大統領の宮殿の前で事故の死亡者を記念ために木造の十字架を建てました。 時間が経るにつれて、十字架の周りで人々が蝋燭や花などを置き始めました。新大統領が十字架をきちんと教会に移るように命令をしてから、狂信的なカトリック教徒が昼夜、十字架を守るために、警察官と争いていたことになりました。 もちろん、この状況を右翼の政党が悪用してしまいました。この疑聖戦は5ヶ月以上かかりました。
僕にとっては、これはクラウンのサーカスに過ぎません。だって、人々が小さい十字架で戦い合いました!
その時、僕が考えていたのは、仏教徒はどうだろう。もし、十字架を仏像に代わったら、どうなるだろうか。
仏教徒が仏像で戦い会うのは有り得ないと思います。
この問題について、友達と話し合って、仏像のなかには仏舎利とか経典が入っており、これを納めることになっています。ただ作られたものではなく、尊敬されているもののエネルギーです。
つまり、仏像も神道にて神体のような仏体ということになります。
しかし、カトリック教の場合は、中世というものから、聖イメージは神体ではありません。よく聖戦で使われていたからかな。
仏教では、聖戦ということがありません。戦争自体は非仏教的な活動ですから。
残念ながら、歴史上のそういうこともありました。
どちらにせよ、「聖☆おにいさん」を見ると、人間はブッダとイエスの主人公を見ると、どう思うかと考えております。
仏教とにとって、ブッダは一番偉い師ですから、こういう風に彼のイメージを使うのはちょっと。
一方では、もしかして、人々は、こも漫画を読んだら、ブッダとご縁があるようになって、自分で調べるかもしれなません。
法純
九拝



はじめまして。
「聖おにいさん」は私も好きな漫画です。
コミカルな雰囲気や、ただ面白おかしい漫画ということだけではなく、
意外に仏教やキリスト教についてよく調べてあるなーという印象を受けました。
その上で「神様・仏様」が、東京の立川(実家の近くです)に住むというシュールさを、「笑い」にする日本人の感覚は法純さんのおっしゃるとおり興味深いと思います。
歴史に詳しくないので恐縮ですが、かつての日本では神道や仏教における宗教行為はごく一般的な身近なものでした。
しかし明治時代の開国、軍国主義における天皇崇拝(宗教行為の移行と禁止)と敗戦後の天皇制度の解体によって、
我々日本人の宗教観はそれまでと大きく変化をしたのではないかと思います。
今の日本であったとしても、「神聖」な場所やものを見つけることは簡単です。
(ほとんどの日本人にとってお寺や神社などは大事ですし)
しかし思想や主義など人の心の中に、「敬う」気持ちを見つけることは難しいような気がします。
仏教だけでなく、キリスト教や他宗教についても言えることですが、
良い意味でのプラクティスをする場所が見つけられないことも一因のような気がいたします。
大変興味深い記事をありがとうございます。
聖☆おにいさん、僕も読んだことがあります。
一般的にはおもしろいのだろうな、という印象でした。
一冊全部読めなかったのですが「つき」さんのおっしゃるようによく勉強した上で書いてあるなと感じました。
日本人の宗教感は興味深いですね。
仏像や写真や「尊敬すべき人のイメージ」を扱う際は少し「不思議な感覚」が必要であると思います。法純さんの尊敬するチベットの仏教師がおっしゃるように「尊重」すべし、と思う感覚です。
これはすごく言葉で説明しづらい感覚です。例えばあまり日本のことを知らないアメリカ人は土足で室内に入ることに特に違和感を感じないと聞いています。日本人は土足で部屋に入りませんが、その理由は頭で考えた言葉で説明できるようなものではなく、それこそ俗にいう「ありえない」という不思議な感覚だと思います(勿論汚れるから、というのもありますがそれは後付けです)。
本を足で踏むことが物理的には何ら問題のない行為でも「ありえない」と思う感覚。
そういった感覚は本当に大切に受け継いでいきたいと思います。
法純さんのポスト、いつも真剣に仏道を考えていらっしゃる様子が伝わってきて大好きです。
「ブッダとご縁があるようになって、自分で調べるようになるかもしれません」と最後に書いてあるようにいろんな人の想いをバランスよく汲み取っていますね。そういった優しい心があれば、本当に戦争は起こらないと思います。
星覚さん、
こういうコメントのために、ブログの努力のかいがあると思います。
いつも、ありがとう!
聖☆おにいさん 私も読みました。
仏陀とイエスが東京郊外で普通の外人青年のふりをするという発想は実に面白いです。
作者はかなり宗教に詳しいと思います。ところどころに仏典や聖書のエピソードもでてきますし、それぞれの弟子・裏切り者の弟子・敵・部下・母などがでてきて比較されるのもこのマンガのおもしろいところのひとつです。
はっきりいいまして、このマンガを完全に理解できる日本人はそれほど多くないかもしれません。
作者は、結局、宗教の対立のおろかさ、信仰するすばらしさを教えているのかもしれません。
コメントをおおきに!
日本人にとって寺や神社はやっぱり大事なところかもしれなのですが、殆どは深くいけならしい。つまり、日本人は形が大好きです。ですから、宗教もただ形なんです。と思います