unsui法純の「波蘭便り」

されるべきだから 

自分のことを観るのはとても難しいことです。自分が言う言葉、自分が思う考え、自分がすること。
時々、これらに気にしないほうがいのではないかというふうに思っているヒトが多い。
われわれ、ほとんどは、自分のメガネを通して外の世界を眺めている。

ピンクのメガネで外を見る場合は、世界のすべてがピンクです。黒いメガネをかけると、世界のすべてが黒くなります。
しかし、実はそうではないです。
ピンクのメガネで見たら世界はピンクではないです。只、ピンクに見えるに過ぎないです。真実は違います。メガネを掛ける前に、メガネを外す後も、世界は変わりません。変わるのは知覚です。

「我」があると同じです。生まれてから、死ぬまで、「我」が当たり前のことです。疑う理由がないというふうに思っている、われわれです。
この「我」を通して世界を観ます。

だから、怒っていると、世界の全ては怒りの世界。不機嫌だと、世界の全ても不機嫌。
逆も、幸せだと、世界の全ても幸福の処。
しかし、実は世界はそのもの、怒り、ムード等と全く関係なです。関係なのは「我」の知覚です。

知覚をシフトしたら、世界も変わるのではないでしょうか。

「我」があるという考えが、私たちはその「我」を通して自分のこと、或は外の世界を別の概念として感じさせます。この思念に基づいて自分の価値、判断等を建てる。

そんなに大切でも、実は、その「我」がどこにあるか全く調べていない。いつも「私」と言いますが、どこにある、その「私」、と考えない。
逆に、できるだけ、自分の「我」、他の「我」から離れ、自分のほうが良いか、自分のほうが正しいと強調します。
さらに友達がいれば、いるほど、自分は人気者だと思います。褒められることや声名はとても大事だから。

他の人にポジティブ的に見られることも大切です。友達が私のことを悪く思うと嫌じゃないでしょうか。

他の人に手伝いたい時、理由はなんですか。どこか、心の中に「ありがとうと言われる」、「私が手伝うと、この人は私にやってもらったことについて友達に言って、皆がわたしのことを褒める」といった考えが浮かばないですか。
拍手されるためにこれをやったのではないでしょうか。

混んでいる電車の中だって、疲れているおばあちゃんに席を譲ると、どんな気持ちですか。
「みて、みて、僕が偉い」と言いたいほどみんなにみせたいのではないでしょうか。

こういうふに、他の人からの判断に気にしたり、他の人を判断したりして、人生を送ります。

勿論、手伝うこと、席を譲ることは、別に悪くいないです。むしろ、これらをするべきだと思う。
でも、大事なのは、することの動機をチェックすることです。
良い動機だと、行為も良い。

何かやっている最中、自分の中には何が起こっているか気づかない。

一番難しいのは、世界を直すというわけでなく、自分の行為を直すことです。他の人を手伝っても、「ありがとう」という言葉で褒められることを待たないこと。
自分がやったことの結果で、世界から私が尊敬されるか憎まれるか、というのは大した問題ではない。

結局、みんなを幸せにすることが出来ません。

行為を心「動機」と調和し、やるべきことをきちんとやることだ。
風にふかれた葉っぱと同じように、自分の行為の反響がどんな辺に響かせるかわからず、風にまかせて。。


誰かに道に捨てられたゴミを拾い、ゴミ箱に入れます。これだけ。

やらせたらから、やるではなく、されるべきだからやる。


yamadera

2012/02/07

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