星覚です。
今日は突然のお誘いで井上有一さんの井上有一遺墨展に行ってきました。
銀座線です。渋谷から浅草まで、はしからはしまで。
遠い・・・
大学生の頃やんちゃしてタッチしに行ったアサヒビールのウンモ。
犬の散歩をしたりのどかな隅田川の流れがゆらりとした気分。
そんな川沿いにありました。
一瞬、お、これは!上かな?
なんでこんなに上をいっぱい書きたかったのかな?
これは鳥かな・・・鳥もいっぱい・・・筆がすごい
常々思うけれども書道はうまくあってはいけない。
書道に伝わるいろいろな作法のキモはそこです。
たぶん・・・俺は書道の稽古をしたことがないからわからないけど。
筆をもって紙に向かうとどうやったってそこにいきつく。
うまく書こうとおもう気持ちが一番呼吸をとめてしまう。
そうなるとうまくてもクルシイ作品になってしまう。
この心の滞りをとりのぞいていく作業は俳優にも通じるとても難しいベクトルです。
特に契約と取引で利潤を得ていく都市生活では。
ここで紹介されていた彼の言葉。
「経済的繁栄が人間の幸福をつくるだなんていいうまことにくだらぬ通念が世の中をおおっていて、経済的繁栄のためには人の命なんかどうでもいいという全くヘンテコリンな中で、みんなあくせくはたらかされている。じつにバカげた世の中であります。そこで世上よく、現代の経済的繁栄と精神文化というものとのアンバランスを指摘してもっと精神文化を重視せよという意見をききます。この考えは経済的繁栄というものを一応認めているわけですが、わたしは経済的繁栄なんてものはないと思うんです」
30年前の言葉です。今はどうか。
GDPがぬかれたとか騒いでますが、ぬかれればいいんです。
モノがうれないとか騒いでますが、うれないならつくらなければいいんです。
本質を、ミエナイ花はカラダと一緒でいつも無意識の中にある。
そんな話をしながら豊川稲荷で永平寺の先輩の話を聞きにいきました。
この人もガシガシ発言するから好き嫌いわかれるところですが、俺は嫌いじゃないです。
とりとめなく、今日はこのあたりで。明日も朝は代々木で暁天坐禅です。
どうぞよろしゅう
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