ここBerlinはなにしろ子供たちがのびのび育つ街。
特に今住んでいるPrenzlauerberg(プレンツラウアーバーグ)は本当にちいさな子供のいる家族の割合が驚異的に高くて、
「プレンツラウアーを歩いていると乳母車にひかれる!」
とか
「プレンツラウアーでは角を曲がると妊娠する!」
なんていわれてるほどなんだ。だからモンテッソーリやフリースクールといった非伝統的な教育がうけられる「学校」もたくさんあるんだ。ガチ伝統的な教育を永平寺でうけた身としてはその長所、短所にとても興味がある。
永平寺のやり方は愛をうけて育ってある程度モノゴトの道理をわきまえた大人が入門することが最近では前提になっているから実際の子供へ接する時は同じやり方じゃあ通用しないと思う。
でもなんでも子供にまかせたり自由に個人の意志を尊重してっていうのもちょっと違う気がしない?「読み書きソロバン」みたいな昔の日本の寺子屋のような教育のよさも絶対あると思うんだ。
もうすぐ子供も産まれるし、ベルリンに住んでる友人で本当に素敵なモンテッソーリの先生がいるから、色んな年齢に対する接し方をいろいろと研究してみたい。
ちなみにLivの娘のMiaもフリースクールに通ってるんだけど、自転車をとっても上手にのりこなす。弟のRyuちゃんもちっちゃいのにすごく自転車にのるのが上手い。普段はちょっと頼りないところがあるから自転車にのるところを想像できなかったのでお父さんのStephanに聞いてみたんだ。
「補助輪はいつ卒業したの?」って
そしたら補助輪は使ってないんだって!
Stephanが子どもの頃はドイツでも補助輪が主流だったんだけど今の子供用の自転車は補助輪がついてなくって足でけってバランスをとることをまず最初に覚えるみたい。で、それができるようになったら、初めて漕ぐことを覚えさせる。
これってなんかすごいいいなって思ったんだ。
最初に安定があり、漕ぐことを教えて、それから不安定になれさせる。
最初に不安定があり、安定を教えて、漕ぐことになれさせる。
なんか同じようだけどそのプロセスが全然違うと思う。
なんだか現代都市生活の教育は前者の様な気がしない?
不安定になれればいいけれども、安定を覚えて、漕ぐことを覚えると、よっぽどいい親がいないかぎりは不安定には踏み切りづらいよね?
そんなことを考えたんだ。
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