ドイツがイタリアに負けました。サッカーの話です。
勿論ドイツを応援していたので後半はもう焦りと懇願でいてもたってもいられない気分でした。
僕だけではありません。街全体が静まり返っている雰囲気が写真から伝わるでしょうか?
しかし同時に
「待てよ」
と感じました。何でこんなに悔しいの?
「日本とドイツが試合をしていた時は日本を応援してた。そもそも応援って何だ。ワルシャワで蹴っている白い球がネットに入るかどうかの遊びだよね。もし相手がイタリアでなくて日本だったら今嬉しいかな。このあたりは混血は当たり前だけどイタリアとドイツにルーツがある家ではどうなのかな。何でこんなに街全体が嬉しくなったり悲しくなったりするのかな。自分と選手と国を同じものとして見ているのかな」
・・・
・・・
そう考えると、人間の感情や主張というのはいかにもあてにならない、という気がしてきました。
いや、あてにならないから悪いと言っているわけではありません。
「いかにもあてにならないんだ」
ということをみんなで共有していれば間違って決定したことにも素直に
「ごめん!間違った!」
って謝ることができるし、それを許すこともできる。
でも感情や主張がその人や、その国そのものと同じものだとしてしまうとなかなかそういうわけにもいきません。
今日も雲水喫茶へようこそ。
いつも日本を想っています。
祈りをこめて・・・
星覚九拝
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