東京では週末に原発再稼働に反対する大規模なデモがあったようですね。個人的には原発は再稼働させるべきでないと考えていますが、嬉しかったのはその中にどうやら再稼働に賛成する団体もいたらしい、ということです。
賛成の人も、反対の人も、お互いの意見を話し合ったら仲良く一緒に坐って夕食を食べるなんてことになれば、なお素晴らしいですね。みんな誰かを罵りたいわけではなく、この星を本当に好くしたくて集まっているのですから。特に現状の世論の中でも一生懸命自分の言葉で再稼働賛成を表明している人の意見は、現実的で大変参考になりますから真摯に耳を傾けたいと思います。僕が知る限りではどれも原発自体は危険だとしながらも次のような理由から再稼働に賛成しています。
1、病院が停電したらどうするの?
2、安全保障は大丈夫?
3、電気のない生活に耐えられるの?
4、経済がまわらないと日本はやってけないでしょう?
どれも真剣に考えたい大きな問題です。これらは「恐怖や不安」という大切な感情に由来している共通点があります。これらの心の働きが抜群だったために人類は繁栄してきました。しかしながら、そろそろはっきりさせておきたいことがあります。
「地球には人類が幸せに暮らすのに充分な自然はないのでしょうか」
みなさんはどう考えますか?
もし充分なければ話は別です。僕には家族を犠牲にしてまで平和を貫く覚悟はありませんし、飢えれば、奪い合い殺しあってでも生きようとしてしまうでしょう。
でも。
わけあえば充分足りるとすればどうでしょうか?
電気も保障もお金もないけれど立派に生きている山川草木の様々な生命を一方的に頂いておきながら、それでもまだ恐怖や不安によってしか生きていけないとしたら・・・生態系の頂点どころかそれこそ畜生以下、あまりにも情けないと僕は思います。
でも。
わけあえば充分足りるとすればどうでしょうか?
電気も保障もお金もないけれど立派に生きている山川草木の様々な生命を一方的に頂いておきながら、それでもまだ恐怖や不安によってしか生きていけないとしたら・・・生態系の頂点どころかそれこそ畜生以下、あまりにも情けないと僕は思います。
自然には、勿論人間にも、平和に共存するための理があります。
金曜日に道場に来たスペイン人の舞踏家がアレクサンダーテクニークを教えてくれたので、坐禅の後にみんなで学びました。これはオーストラリアのある俳優が確立した身体技法で、具体的には身心の緊張を観察し自覚して、人間に本来備わっている力を引き出していきます。
そこで辿りついたのは
" How are Humans designed ? "
直訳すれば「人間はどのようにデザインされているのか?」という問いです。例えばヒジを触って見てもらえればわかりやすいと思います。
逆に曲がりますか?
無理に曲げようとし続ければ、いつかは曲がるかもしれませんが身体は壊れてしまいますよね。世界には本当に多種多様な人種、民族、思想がありますが、このヒジはどれもそのように「デザイン」されていないのです。
ヒジは非常にわかりやすい例ですが、身心いたるところ微に入り細に入り共通した「デザイン」があります。食べることにも、歩くことにも、ものを見ることにも。
ヒジは非常にわかりやすい例ですが、身心いたるところ微に入り細に入り共通した「デザイン」があります。食べることにも、歩くことにも、ものを見ることにも。
この理に従って身心を調えれば「原発を再稼働させない」という決断はきっと下せるはずです。
大丈夫、世界中の人々が恒久の平和を念願しています。
平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、安全と生存を保持しようではありませんか。
もちろんそう簡単なことではありません。現実的でない、そんなことは不可能だ、という人もいるかもしれません。そんな時には宮崎奕保禅師の言葉が勇気を与えてくれます。
「学ぶと言うことは 真似をするというところから出ておる。一日真似をしたら一日の真似。二日真似してその後なにもせなんだらそれは二日の真似や。ところが一生真似しておったら 真似がほんまもんや。だから真似が真似にならんようにする事が大事や。それは口で言うより実行や」
今日も雲水喫茶に来ていただきありがとうございます。好い日々になりますように・・・
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