今週ある方からメールで
「何故仏教者が原発再稼働反対や、環境汚染に声を上げるのでしょうか。」
というご質問を頂きました。
とても深い、ありがたい問いかけです。
例えば原発再稼働反対のデモ。
最近は毎週末に行われているようですね。
幸い誰も暴力をふるったり人を傷つけたりせずに平和に行われているようです。
みなさんはデモに行ったことがありますか?
デモに行くことをどう思いますか?
僕はデモなんて「何もならない」と思います。
でも、デモに行きます。
そして出来るだけ多くの人にデモに来て欲しいと願います。
その理由はまさにデモなんて「何もならない」からです。
このどこかで聞いたことがあるフレーズに感じるシンパシー。
そう、Zから始まるただ坐って何もしないあれ。
ネルケ無方さんも著書「ただ坐る」の中で一日15分お勧めしていたあれです。
考えてみれば僕らが力説する大抵のことは生死の流れで考えれば「何もならない」
理由もわからない、けれどもせざるをえない、どうしても。
本当の変化はそういうよくわからないナマの声に身体が従った時に起きるのではないでしょうか。
何もならないことを、ただ、やってみる。
デモに行くことはひょっとすると自分に会いにいくことなのかも知れません。
今週も好い一週間になりますように・・・
星。
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