「ついていく自信がある」
昨晩、女性にこういわれたことは大変な衝撃でした。
それも60歳を超えるおばあちゃんにです。
「急ぐのでお先に失礼致します」
半蔵門線をおり、JR山手線渋谷駅への階段を含む長い乗り換え路に消えていこうとする僕に、ついさっき知り合ったこのおばあちゃんはこういいました。
どうやら乗り換えで同じ品川方面の山手線に乗るらしいのです。
「本気か?」
思わず目をのぞきこみました。ついてくるつもりです。
たしかに肌はつやつや、動きは信じられない程軽快、背筋がしゃんと伸びてエネルギー溢れる彼女はおばあちゃんと呼ぶのも失礼なくらい。でもそんなこと言う人初めてです。
ついてくるつもりなのであれば一緒にいこうか、とも考えましたがそんなことをしてはおばあちゃん老師にかえって無礼というもの。きっと僕も60歳になったら同じことを若者にいうんだろうな、とワクワクしながら振り返らずに全力で急ぐことに決めました。
早く歩くためには筋力が必要と考えられている方も多いかと思います。
僕も長い間そう信じていましたが6年前に数ヶ月感、毎日一本足の下駄で愛宕山を上り続けてあることに気づきました。それは
・「重さの力」の邪魔をしないようにいかに脱力するか。
・体重を散らさぬようにいかに「骨盤の根元」で「重さの力」を進行方向にむけるか。
が平地を歩くのはもちろん、山を登る時でさえも決定的に重要だということです。
重さの力は誰に対しても平等で、それを活かすには筋力ではなく「経験」によるこの二つの感覚がものをいいます。おばあちゃんとて全くあなどれません。むしろここは陸上トラックでなく人が行き交う渋谷駅ですから、人ごみの中を緊張しないで脱力する経験はおばあちゃん老師に分があります。
僕は身体を水のようにして後ろを振り返らずに、スルスルッとものすごい早さで改札を越え湯気のように階段を上がり山手線ホームに来ていた電車に流れ込みました。
申し訳ないけど、おばあちゃんの姿は影もみえませんでした。
勝った!
動くことは、重さの力、つまり重力。都市生活をしていると「何でも頭で理解できる」錯覚に陥りがちですが身体で考えると不思議なことや偶然にしてはできすぎていることがたくさん起こります。
一昨日、皆もすなる代官山蔦屋といふものにわれもしてみむとて行ってきた時のこと。
たまたま本棚で出会ったのが大栗博司さんの
「重力とは何か」
という本だったのです。
この本を読むと普段あまりにも身近な重さの力に非常に興味が湧いてきます。
例えば博司さんはこんな問いを投げかけます。
「無重力状態でお相撲さんとノミが押し合ったらはじきとばされるのはどちらでしょうか?」
みなさんはどう思いますか?
僕は動くこと、重力には「個の思考」では到底はかり知れない「何か」があるような気がします。 昨日。 シェアハウスに帰ると住人の独りがとても面白そうな本を読んでいました。その名も「重力と恩寵」。シモーヌ・ヴェイユというフランスの思想家が書いた本です。内容はガガーンと衝撃的。この本に、このタイミングで出会う重力はいったい何なのでしょうか。
山手線のドアが閉まり電車が動き出しました。
おばあちゃんはホームにさえ現れません。
しばし子供げない勝利の余韻に浸ります。
「次は〜原宿〜原宿〜」
ん・・・何かおかしいな・・・あっ!
勝利の酔いから覚めるまで長くはかかりませんでした。
あわてすぎて逆の電車にのってしまったのです。
何たることサンタルチア!
勝った負けたのかくもむなしいことといったら!
勝った負けたのかくもむなしいことといったら!
今頃おばあちゃん老師はゆうゆうと目的地に向かっていることでしょう。
重さの力は一筋縄ではいきません。個の思惑を越えて引かれ合う不思議な力。
とても恥ずかしかったけれどもおばあちゃん老師に大切なことを教えてもらいました。
とても恥ずかしかったけれどもおばあちゃん老師に大切なことを教えてもらいました。
縁に従い感に赴いてあまねからずということなし、です。
今週も好い日々となりますように・・・
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