一時帰国中の8月21、22、23日の三日間、何も予定をいれずにあけておきました。
迷っていたからです。
たった3日間ですが、3日もあります。例えヒッチハイクであっても日本全国どこだっていけるでしょう。北陸、東北、静岡、兵庫の山奥も悪くない。今、日本に本当に必要な行動はなんなのだろうか。
そんなことを考えていたら「21日の夜に会いたい」と言ってくれる人がいました
小学校低学年の息子さんと九州で暮らすお母さんですが、希望の場所は東京でした。母子で暮らしている彼女はお金が尽きてしまい、縁あって外国にいくことになったといいます。
普段中々いけないところに行きたかったので「東京か・・・」と一瞬躊躇しましたが、東京駅で会うことになりました。
東京駅につくと、構内の喫茶店でお母さんは息子さんと、別れた旦那さんの母親と三人で紅茶を飲んでいました。自分の身体の二倍はあるスーツケースとその上においてあるお世辞にも上質とは言えない子供用リュック。よれよれの服や表情からは疲れがみてとれます。きれいな身なりをして上質そうな洋服をきている義母さんは僕が何宗のお坊さんか聞いてきました。ちょっと考えて「曹洞宗です」と応えておきました。
「贅沢になれてしまうと怖いものよね、私はただ普通の暮らしがしたいだけなの」
というような話をしばらくした後義母さんは孫をよろしくお願いしますね」といって席を立ち速やかに帰っていきました。状況があまり飲み込めませんでしたが「ただ、普通の暮らしがしたい」という義母さんの切実な気持ちは伝わってきました。
「外国にいくの?」
「そうなの」
「いいね!ビザとかどうするの?」
「わからないの」
「なおさらいいね!みんな応援してくれてるでしょう」
「星覚さんはじめて」
「え?そうなの?義母さん、仲がいいの?」
「お会いするのは離婚してからは今日が二度目」
お母さんは九州で暮らし始める前は関東に住んでいましたが、原発事故の後、放射線の影響を考えて九州に移住しました。息子さんは留守番で東北や福島にもボランティアで通っていたようですが、お金のことや、流通する汚染された食品に対する不安に困っていた時、ある人から声がかかって母子ともに外国にいくことになったそうです。
どうやら義母さんは孫を外国に連れていこうとするお母さんをなんとか思いとどまらせたいと思って会いにきたようです。そして自分では無理だとさとり「良識ある」お坊さんに一任したと、こういうことらしいのです。
これは困ったことになりました。
ビザ無しで外国にいくという選択に「なおさらいいね!」と推奨してしまうような良識のないお坊さんです。案の定まわりの誰もがことごとく反対したようです。それでもお母さんは外国にいくという。詳しい話をたくさん聞かせてくれました。
うーむ。
筋は通っているものの誰に聞いても反対されるような要素が満載です。東京は既に放射線が危険なレベルであるとか、外国に着いたらはいてきた靴を捨てるように指示され安い靴を履いてきたとか、九州にも汚染された食品が流通しているとか。
友人の中には日本の放射線は全く問題ないレベルだ、という人もいます(それにも充分納得のいく明快な根拠はありませんが)。いったいどちらが正しいのでしょうか?
友人の中には日本の放射線は全く問題ないレベルだ、という人もいます(それにも充分納得のいく明快な根拠はありませんが)。いったいどちらが正しいのでしょうか?
僕はどちらかというと放射線に対しては慎重な方だと思いますが、それでもお母さんの話はちょっと気にし過ぎなんじゃないのかな?と思ってしまうようなことばかりでした。親しい友人が「お母さんは絶対にだまされている!」というのも合点がいきます。
だが、しかし。お母さんだってそう思われていることくらいわかっているはずです。普段「言葉はそのまま現実に反映されるからできるだけポジティブな言葉で生きる」ということを有言実行している人です。そんなネガティブなことをいっていれば孤立することは充分承知のはずです。
それでも不安になる。心配になる。行動せずにはいられない。でも言い出せない空気。
悩みに悩んだ末に、息子さんを連れて外国にいく決断をしたことは痛い程伝わってきました。
喫茶店を出た後、一番安いホテルをとったというのでそこまで送っていくことにしたのですが住所をみて驚きました。東京駅が最寄りのはず、とお母さんはいうのですが歩いたらゆうに30分以上はかかる距離です(東京ではそれは最寄りといいません・・・)。楽天で検索してそこよりさらに安くて徒歩10分のホテルを見つけ予約して、僕がやっと持ち上げられるほどの重さでの荷物jを持って東京駅の階段を上ってホテルまで送りにいきました。
途中で息子さんが泣き出しました。「遠い、疲れた、タクシーを使いたい!と。その泣き声は徒歩10分以上の何かを訴えている気がしました。
途中で息子さんが泣き出しました。「遠い、疲れた、タクシーを使いたい!と。その泣き声は徒歩10分以上の何かを訴えている気がしました。
お母さんは、はっきりと、かつ丁寧に、それはしないんだよ、ということを言い聞かせています。
自分の息子がこうやって泣き出したら、はっきりと、使わない、といえるだろうか?
母子家庭のお母さんにとってはどれだけつらいことなのでしょうか。
そしてこれから外国にいく息子さんは、異文化の中で同じようなつらい経験をどれだけすることになるのでしょうか。どんな移住も最初は痛みを伴わざるをえません。さよならの挨拶をいう時、思わず彼を抱き上げました。
「お母さんをよろしくね」
ギュッとすると、彼はピタリと泣き止んでしっかりとした顔つきになり
「うん、ありがとう、おやすみ!」
といってくれました。
翌日22日はディズニーランドに連れて行きそのまま舞浜に泊まり、23日に成田を発つようです。自然を愛するお母さんが、普段つれていかない夢の国は入場料も安くありません。
それでもあえて出国前日につれていく、お母さん。
「普通の暮らし」とはいったい何なのだろう、と考えました。
このお母さんの日常は明らかに「普通」ではありません。
では例えば24時間食料が手に入るエアコンの効いた近代的な都市に住み、おしゃれなカフェでお茶をし、高速道路を通って自家用車で遊園地にいくことは、今のこの国がおかれている状況において、「普通」なのでしょうか。
たしかにお母さんの情報は「普通」かどうかわかりません。しかし、そうやって不安を感じる「心の動きそのもの」は極めて普通なことだと僕は思います。その「心の動きそのもの」にみんなが(僕や私やあなたを越えて)泣き出した息子を丁寧に扱うお母さんのように接していくことが出来ていたら、この母子は海外に行く必要はなかったのではないかと感じました。
お母さんが単にデマに踊らされているだけなのか、何が正しくて何が間違っているのか、それは僕にはわかりません。ただ、それだけの覚悟で行動している人が1人でもいる以上「普通の暮らし」とは何なのか、今、この星に住むみんなで真剣に考えて行動したいと思います。
お母さんが単にデマに踊らされているだけなのか、何が正しくて何が間違っているのか、それは僕にはわかりません。ただ、それだけの覚悟で行動している人が1人でもいる以上「普通の暮らし」とは何なのか、今、この星に住むみんなで真剣に考えて行動したいと思います。
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