雲水喫茶の日替りマスター!!

坐禅のすすめ

今書いている本で坐禅の効能、意味等を解説してほしいとの御要望がありました。
そういえばこれだけ毎日やってるのに、きちんと書いたことがありませんでした。
坐禅の好さは言葉にできませんが
「一人でも坐禅を好きになってくれれば嬉しいな!」
と思い立ち、現時点で可能な限り表現してみます。



坐禅は言葉のようなものです。



「え?」
と思う方もいるかもしません。
「今言葉にできないってったばかりじゃん!」
そんなツッコミが聞こえてきそうです。確かに禅の教えは言葉にならないことを表現した「不立文字」といった禅語もあるくらいです。

しかしベルリンのように母国語が(という表現がもはや成立しないくらい)何カ国語もある人達が共存し、その子供達が言葉を覚えていく姿を目の当たりにすると、やはり坐禅は言葉のようなものだとつくづく感じるのです。



想像してみて下さい、赤ちゃんが最初に言葉を発し始めるとき。
意味も、目的も、期待する効能もありません。
思い出してみて下さい、あなたが最初に言葉を発したとき。


どうでしたか?


まわりの人達がそうであるから、ただ、そうする。
それでも親から子へ「言葉を超えて」言葉は代々伝わっています。
言葉はそれ自体には意味がなく、相手がいて、話すという行動を伴って初めて意味を持つのです。

坐禅も同じく、それ自体には理由も、目的も、期待する効能もありません。
相手がいて、生活の中で実践して初めてハタライテくるのです。

仏陀というインドの王子様がこれに気づき、達磨大師(合格祈願でおなじみの禅僧です)を経て中国から日本へ脈々と伝わって来たいわば「おじいちゃんの知恵袋」です。実践をともなって初めて表現できる不思議な知恵袋。

「理由もなく、ただ、やってみる。」

これは人生に意味や目的を求めてしまいがちな僕たち現代人にはなかなか難しいことです。
思考で人生を切り開いていく先進国の暮らしになれると特に不安を感じます。
だから頭で考えて理解しようとするより、よい師匠に出会い、生活の中で実践し続けることが何より大切です。

よく坐禅はつらく、厳しい、痛みに耐える、といったイメージがありますが、そんなことはありません。足を組めなかったらといって誰に迷惑をかけるわけでもありません。少しずつ今まで必死でしがみついてきたものを手放していくプロセスは肉体的にも精神的にも楽しいものです。

何かをしようとするのではなく、意味も効能もない本来の自然な世界に身体を投げ入れることで、赤ちゃんの時のように自由で楽しい身体と心が自然にもどってきます。

生まれたばかりの赤ちゃんが実際に声を出すことなく、納得するまで言葉の意味や文法、効能を考え続けていたらどうなるでしょう?おそらく一生言葉を使うことはなく「言葉というものの本当の存在価値」に気づくこともないでしょう。

健康になる、気分が晴れる、姿勢がよくなる、縁に恵まれる・・・坐禅の現実的な効果は勿論たくさんありますが、それは知恵袋のひもに結ばれたおまけのようなものです。

1日5分でいいのです。是非とも継続して下さい。どこでも、誰でも、いくつになってもできます。こだわりから一つ一つ離れて身軽になっていく楽しさはお金にはかえられません。きっと坐禅が大好きになりますよ!



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2012/11/07  by

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