雲水喫茶の日替りマスター!!

星覚の最近のブログ記事


I look for one shoe under the mackerel sky.

with prayers 
Seigaku 9 hai
フリーペーパー"MADO BERLIN"に「禅的革命の起こし方」というインタビュー記事が掲載されました。

尚、本文で登場する「ワもダラならワーもダラだ!」はゆっくり小学校用務員の上野宗則さんが、師匠である天野祐吉さんから伝授されたものを方言にした作戦です。

フリーペーパー"MADO BERLIN" ウェブサイト

以下転載記事。
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禅的革命の起こし方

ー星覚さんのブログを読み、鳥取県の水源地に産業廃棄物最終処分場を建設する計画が問題になっていると知りました。なぜこのような事態になっているのでしょう?

「実は私も最近になって問題を知りました。なぜこのような事態になっているのか、正直今でもよくわかりません。わからないながら、鳥取県の問題に関して現時点で私が理解している限りではこういうことです。産業廃棄物最終処分場とは簡単にいうとゴミ捨て場です。自宅の庭に喜んでゴミを捨てたがる人は誰もいません。本当は廃棄物を出さないことが一番ですが、産業、つまり今の生活を続けるためにはどうしても出てしまう。そこで水源地である鳥取県の淀江町に廃棄物処分場を建設せざるをえないと主張する人達がでてきました。一方で、それに反対する人達もいます。水を汚す処分場を建設するのはやめ、我々が廃棄物そのものを出さないようにしよう、という主張です」

ー「実際に廃棄物は出ているのだから、嫌でも作るしかない」、「水を汚す施設を作るぐらいなら、廃棄物を出すのをやめよう」、どちらの言い分もわかる気がします

「そうですね、どちらもそれなりにわかる。しかし私にはどちらも「よくわからない」部分があります。例えば廃棄物とはどんなものが、どのくらい出ていて、それをどうやって処理するか、よくわからない。「どこかに作るしかない」という前提も、本当はより好い代替案があるのかもしれません。が、これもよくわからない。例えば「水を汚す施設」がどのくらい危険なのか、よくわからない。廃棄物を出すのをやめることが自分以外の人達にどのくらい現実感があるのか。これもよくわからない。私を含め、実際多くの人は「よくわからない」というのが現実ではないでしょうか。いや、私はよくわかっている、という人でも特定のネットワークの中で聞いたことをそのまま話しているだけということが少なくない。「禅をわかっているという人間は禅をわかっていない」とよく言いますが、「よくわからない」ことが前提にあるから一生懸命わかろうとする衝動が生まれるのだと思います。多くの人が「よくわからない」ことは相手にバカにされ、つけ込まれる弱点だと思っています。しかし傲慢にならなければ、事情がよくわからないことを恥じる必要はありません。「よくわからないけど処分場は必要な気がする!」「よくわからないけど処分場はなんとなくいやだ!」この「よくわからない」という共通項は人々を結びつける大きな力となります。極端にいえば自分がバカであると認めることです。これは、意見の違いをこえて人々を共鳴させる最も効果的な方法のひとつです。」

ー自分がバカと認めるとはどういうことですか?

「人は何かを主張する時に「俺は賢い、お前はバカだ」という態度をとりがち。するとどちらが賢いか、正解のない主張の仕合いになってしまい、いつまでもお互いに相手を責めることになってしまいます。自らをバカと認めると気負うものがなくなり、相手の尊敬できる部分を素直に認めやすくなります。「よくわからない、自分はバカだ、しかしあなたもバカだ」とバカの仲間を作ってみて下さい。山陰地方の方言にちなんで「ようわからん、ワもダラならワーもダラだ!」作戦です」

ースゴい作戦名ですね!

「相手のバカさ加減を自分の中にも認め「君もバカだけど、私もバカなら負けていないよ」と、相違点でなく共通点にどこまでも注目していく。相手が持つベクトルに寄り添ってから、自分がその針路を変えてしまう。するといつのまにかそれが相手にも伝わり天地がひっくり返るような状況の変化が起こる、そういったことは確かにあると思います。宮沢賢治さんの「どんぐりと山猫」でも「いちばんばかなものがえらい」と山猫が言った途端に価値観が覆り、争いが一気に静まる場面がありました」

ーしかし「よくわからない」をハッキリいうのが難しい世の中になっています

「道元禅師は『古人云く「智者の辺にしてはまくるとも、愚人の辺にしてかつべからず」と。我が身よく知りたる事を、人のあしく知りたりとも、他の非を云ふはまた是れ我が非なり』(古人は「智者の見る前で敗けるのはよろしいが、愚かな人の見る前で勝ってはいけない」と言っている。自分が正しく知っていることを、人が間違って理解していても、その間違いを言い立てると、それは自分の間違いとなる)と正法眼蔵随聞記の中で言っています。「よくわからない」ことは堂々と認め、ほんとうのところはどうなのかをお互いの心の声に耳を傾け探っていく姿勢の方がいいのではないでしょうか。大切なのは相手を言い負かそうとしない態度です。疑問が1つでも見つかったら、その10倍は共感できることを探すくらいがちょうどいい。母親がいる、口から物を食べる、血が赤い、など当たり前のことでいいのです。共通点に注目し、相手も自分と同じ、納得できないこともあるけどいいところもあるな、と思えると、お互いの意見の違いを越えて尊敬し合える関係が築けてきます。これは時間も労力もかかりますが、相手を攻撃する必要も、相手から攻撃される必然性もなくなるので、とても楽しく協力しながら続けることができますよ」

ー一つ何かを買えば二つ以上のゴミが出る、今の生活は冷静に考えると持続可能なはずがありません。こういった現代社会の不条理に対して世界中で様々な反対運動が行われています。特に日本ではどうしたらこれを変えることができるでしょう?

「頭で考えるのではなく、全ての人類が行なう振る舞いに注目するといいのではないでしょうか。一概にはいえませんが比較的、日本人は意見を言葉で表現するのが苦手です。そのかわり行動で表現することを重んじる傾向があると思います。例えばドイツにいるとよく珈琲にしますか、紅茶にしますか、と聞かれることが多いのですが私はいつも自分の意見がうまくいえません。日本であればあまりこういった聞き方はされません。相手の気持ちを慮った上でどちらかの飲み物が出てくる。紅茶が欲しいのに珈琲がでてきたら残念ですが(笑)その微妙な態度の変化をお互い慮ることが日常的に行なわれ、人間関係ができていきます。お茶を飲む、という人類共通の行為はどのようにしたら円滑に行なわれるのか。こういった何でもない行動でも大切に追求して茶道のようなものに昇華してしまう性質が日本人にはあります。賛成か反対か、誰の意見が一番納得いくかを考えることも大事ですが、寡黙でも多くの人に尊敬されている人の行動をよく観察して、真似るとよいのではないでしょうか」

ー日本国内だけならいいかもしれませんが、国際社会で意見をはっきり言葉で表現しないと不条理に押し切られてしまわないでしょうか?

「これが一番大切なのですが、早寝、早起き、洗面、トイレ、食事、掃除といった昔から日本人が大切にしてきた習慣をできるだけ多くの人と共有し、丁寧に続けて行くことです。これらは古今東西、世界中の人達が大切にしてきた共通項です。意見の違いは一度棚にあげ、わからないことはよくわからないと認めてしまう。それでも一緒に坐る、立つ、歩く、水を飲む。これらを共有している限りは難しい言葉で意見を表明しなくても、多くの人が共通して願っている想いが見えてくるはずです。水と暮らしに漠然とした不安を抱いているのは日本人だけではありません。どうすれば水を汚さない暮らしができるのか、一歩一歩、心を合わせて進んでいけば必ず皆が納得する落としどころが見つります。私たちはいつの日か「美しい庭にゴミ捨て場をつくる必要がない」暮らしを共に再発見することができるはずです。
最後にひとつ、聖書にこんな話がありました。イエス・キリストが集まってきた5000人の群衆にたった5つのパンをわけ与え、すべての人が満腹になったというお話です。5つのパンを5000人にわけることは普通に考えれば無理です。しかしあなたがその場にいると想像してみて下さい。無理とわかっていながらも自分のパンをわかち合いはじめた人をみて、あなたはそれを放っておけるでしょうか。5000人の人たちが同じように(パンに限らない)自分の資源を分かち合い始めたらどうでしょう。
不可能に思えることもみなが集えば十分可能になると、私は信じています。まずは一緒に坐る、立つ、歩く、水を飲むことから。
ここをいい星にしましょう」

米子市の行く末に関心を持ったあなた、身近で同じような問題があることに気づいたあなた、何かを変えたいと思っているあなた、まずはこちらで星覚さんからのメッセージをキャッチしてみてください!

ウェブサイトにて失礼致します。来月9月に日本で禅の旅、並びに坐禅会を行ないます。詳細は下記の通りです。
 特に禅の旅は10年に及ぶ歴史の中で初の「現地集合、現地解散」です。東京発着のため今まで断念していた方は是非この機会に天龍寺での生活を体験してみて下さい。
 それではまた、機運が合いましたら共に坐りましょう。どうぞよろしゅう!

中食とお話会(於飯田橋 9月3日(日)13:00〜)

禅とヒプノ(於目白庭園 9月3日(日)18:10〜)

坐禅会(於飯田橋 9月6日(水)6:50〜)

禅の旅(於福井県 9月8日(金)〜10日(日)初の現地集合です)


祈諸縁吉慶
星覚九拝

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「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす(松尾芭蕉/奥の細道)」

ひさしぶりの帰宅。

5、6月は日本に滞在、7月下旬にベルリンに帰着、2日後には車で南フランスに向かいベトナム出身の禅僧、ティクナットハン師の瞑想センターで1週間、その後南ドイツにある日本出身の禅僧、中川正壽老師の普門寺を訪ねた。ようやっとこの7月末にアパートに落ちついたところだ。

今にはじまったことではなくここ数年は毎日が旅のよう。備忘のため時々の感想を書きとめたメモから、ここにまとめて記しておく(長いです。すみません)。

目次
【1】映画撮影
【2】鳥取県と日本
【3】プラムビレッジと普門寺
【4】謝辞とリンク


【1】映画撮影
 今回日本に帰ったのは2015年8月に彼岸寺の杉本恭子さんから、松尾芭蕉の映画の製作を担当している柏本奈津さんを紹介頂いたのがきっかけで、もう二年も前のことになる。この映画はスイス出身の映画監督リチャード・ディンド氏の創るドキュメンタリーフィクションで、監督は松尾芭蕉とその弟子河合曾良を演じる役者としてホンモノの禅僧を探していた。

 ちょうどその翌月に東京で監督と会う機会があり話を聞くと、撮影は天気待ちがあるため二ヶ月は日本にいて欲しいという。面談の末、長期の日本滞在費用、往復の航空運賃をまかなえるだけの出演料をプロダクションが負担してくれることになり、2016年の春から日本に滞在する運びとなった。その後資金難のため撮影が延期になったが、1年後に目処が立ち、今年2017年の5月から約2ヶ月、奥の細道を辿って日本各地で撮影することになったというわけだ。

 芭蕉の映画に関わることが決まり、暫く連絡をとっていなかった俳句好きの正子おばさんに連絡をとると、甥のためにと一句を読んでくれた。


「禅僧の咀嚼しづかやみどり差す」 2017年5月14日 正子

 旅すると、あまりに多くの感動をどこかに書きとめたくなる。ところが書けば書く程書きたくなると同時に、書けば書く程書きたくなくなるという矛盾した気持ちが起こる。それは「一番写真を撮りたいその瞬間は、まさに一番写真をとりなくない瞬間である」のと似ている。
 頭の中で制限なく膨らむ言葉をわずか17文字に磨き落としていく俳句のあり方が好きだ。それは「行き過ぎた資本主義社会」を好転させる鍵になるはずだ。

"禅はひとつ先の未来を予言するか"
(2017.3.29 佐々涼子氏による「行き過ぎた資本主義社会」についてのインタビュー記事)
https://www.tjapan.jp/ART/zen

 撮影とは別に最も印象に残ったのは松尾芭蕉役を演じたある臨済宗の老師の存在だ。この「芭蕉老師」が映画を抜きにして素晴らしい禅僧であった。老師と同じ車で移動することが多く、少年時代のこと、お坊さんのこと、家族のこと、日本のこと、イタリアのこと、たくさん話を聞かせてもらった。おかげで撮影は毎回とても深い学びの場となった。
 老師の父親は京都の祇園にある金物屋で、家から歩いていけるところに建仁寺があり、祇園の花街があった。被差別部落もあった。生活環境の大きく異なる人達と分け隔てなく接することを学んで育った老師少年は、運命に導かれるようにして禅の修行道場に入り、お坊さんになった。今は一寺の住職かつ高位の役僧でありながらそのことを少しも感じさせない。奢るわけでも、卑屈になるわけでもない出会う人々との絶妙な接し方からは、京都の中心という「難しい立地」のお寺で禅的な生活と娑婆の生活を見事に両立させている様子が伝わってくる。老師が若かった頃、母上が老師が出家したことを心から喜んでくれたことが何より嬉しかった、と子供のように顔をほころばせながら語ってくれた。何だか私も嬉しくなった。
 
 当然撮影自体も素晴らしいものとなった。京都のお寺や映画村、日本海に面した漁村、奈良、飛騨高山、宮城、山形、、、日本の美しい風景を残したいという監督の意向から、たくさんの場所を歩いた。
 芭蕉は出家していたとの説もあり、私が禅の旅で度々訪れる永平寺、天龍寺(http://www.tenryuji.net/)の住職とも交流があったようで奥の細道でもたずねて俳句を残している。永平寺を降りてから偶然出会ったヒップホップ少年に連れられて天龍寺と出会い、今ベルリンからこの映画のために芭蕉に再会した人生の旅路を想うと、自分が今江戸時代にも平成時代にもいるような、支えてくれる山川草木すべての存在が兄弟家族のような不思議な気持ちになる。
 監督は現在スイスに戻って編集作業中、今年秋には編集を終え、スイスでの公開、映画祭などに出展したいとと語っていた。いつかベルリン映画祭で作品を見ることができるだろうか。

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【2】鳥取県と日本

 旅の他に二つの栖があるとしたら、それはドイツと山陰だ。私にとってそこでの暮らしはコインの裏表のようでお互いなくてはならない。ドイツに住むようになってますます山陰でのご縁が増えた。今回の滞在でも兵庫県の安泰寺(http://antaiji.org/ja/)、鳥取県智頭町の友人宅、名パン屋さんタルマーリー(https://www.talmary.com/)を訪ねて寝食を共にさせてもらった。
 またそこでの出会いがきっかけで地元米子市が抱える産業廃棄物最終処分場の建設計画の問題を知り、関わることになったのは大きな出来事だった。

ゴミ問題については以下の雲水喫茶ブログ記事に記載
"【告知】水と暮らし"
"フリーペーパー "MADO BERLIN"

 結局6月24日に鳥取県米子市で開催されたパレードに加わり、多くの人々と米子駅前を歩くことになった。最初は行かないと言っていた両親が参加してくれたこと、ベルリンからベンジャミンさんがパレードに加わってくれたこと、これをきっかけに高校時代からの友人と会って故郷について話せたことは感無量だ。

 当地だからこそ、隔地だからこそ、できることがある。

 今後の日本の行く末に不安を抱いている人は少なくないと想像するが、独立した温故知新の暮らし方をコミュニティで実践することでのりこえることができるはずだ。そのためには数百人規模の小家族視点と数億人規模の大家族視点を併せ持つことが必要だと感じた。

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【3】プラムビレッジと普門寺

 2ヶ月の日本滞在を終え、ベルリンに戻って二日後に9人乗りのレンタカーを借りてプラムビレッジへと旅立った。

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 プラムビレッジはベトナム出身の禅僧、ティクナットハン師が30年程前に開いた瞑想の為のコミュニティで、男性僧侶のためのUpperHamlet, 女性僧侶のためのNewHamlet, 一般の家族のためのLowerHamlet、ベトナム出身の人々が滞在するMiddle Hamletなどいくつかの村からなっている。

 プラムビレッジの概要や、そこで行なわれている行事の詳細はプラムビレッジのウェブサイトに詳しい。
"ティク・ナット・ハン マインドフルネスの教え" (プラムビレッジ)

また専門用語や背景からリトリートの様子まで非常にわかりやすくまとめた滞在記も検索されたのでこちらも参照されたい。
"プラムヴィレッジ滞在記"(コマメディア ー史上最弱の仏弟子 コマメー)

 ここでは人との出会いを中心にごくごく個人的にプラムビレッジで感じたことを書きとめておく。

 旅のきっかけとなった出会いはプラムビレッジの僧侶であるチャイさん(Trai Nghiem師)がベルリンの道場を尋ねて下さったことだった。チャイさんのまとうなんともいえない清澄な空気に衝撃を受け、是非またこのような方の暮らすサンガを訪ね、その生活の様子を知りたいと思った。

 彼女は日本人の両親を持ち、ベルリンにある世界的なオーケストラでバイオリニストをつとめる一流のアーティストでありながら、2009年にプラムビレッジで出家した。当初は南フランスの田舎にあるプラムビレッジで静かな生活を送るものかと思っていたが、タイ(ベトナム語で「先生」の意味で、プラムビレッジでは皆がティクナットハン師のことを敬愛を込めて「タイ」と読んでいる)に「君はこれからツアーに行きなさい」と言われ、再び教えを広める旅に出るようになり、ここ数年では日本でのリトリートのためにも来日されている。
(チャイさんについてはこちらのウェブサイトのインタビューに詳しい)

 チャイさんのお心遣いで彼女が常住するNew Hamletで開催される、ドイツ語を話す家族向けのリトリート(合宿のようなもの)に日本語通訳つきで参加できることに。
 東京から友人の荻野淳也さんとその家族、ベルリンから先述のベンジャミンさんが加わってくれることになり、結局ベルリンハウスから大人2名、子供3名を併せた合計9人での賑やかな旅となった。淳也さん、ベンジャミンさんと交替で運転した車の走行距離は4500キロに及んだ。この二人の協力なしにはプラムビレッジ訪問は叶わなかった。

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 7月22日のお昼頃、滞在するNew Hamletに到着した私たちがまず圧倒されたのは尼僧さん達の遊戯三昧な笑顔であった。

 「自由」なのだ。

 「自由」といわれると昨今では堕落したり自分勝手になりがちだが、ここでは違った。
 なぜなのか。
 尋ねていくとまずプラムヴィレッジでは僧侶達が二週間に一度集まって戒律を守っているかどうかお互いにチェックをしていることがわかった。一人一人が「自発的に」工夫しながら戒律を守っているためか(勿論小さい問題は多くあることは想像に難くないが)大きな問題は起きず「自由」がうまく機能しているようだ。
 ここでは「戒律」と書いたがそれらは僧侶向けのもので、リトリートに来た在家一般の人達には以下5つの「マインドフルネストレーニング」として親しまれている。以下サイトから抜粋引用する。

"5つのマインドフルネストレーニング"
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1、いのちを敬う
いのちを破壊することから生まれる苦しみに気づき、相互存在を洞察する眼と慈悲とを養い、人間、動物、植物、鉱物のいのちを守る方法を学ぶことを誓います。
2、真の幸福
搾取、社会的不正義、略奪、抑圧による苦しみに気づき、自分の心、発言、行動をもって寛容さを実行することを誓います。
3、真実の愛
性的な過ちによる苦しみに気づき、責任感を育て、個人、カップル、家族、社会の安全と誠実さを守る方法を学ぶことを誓います。
4、愛を込めて話し、深く聞く
気づきのない話し方と、人の話を聴けないことが生む苦しみに気づき、愛をこめて話し、慈悲をもって聴く力を育てます。
5、心と身体の健康と癒し
気づきのない消費によって生じる苦しみに気づき、マインドフルに食べ、飲み、消費することを通して、自分と家族と社会に心身両面の健やかさを育てていくことを誓います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これらは一般に日本でいう五戒、すなわち
1、不殺生戒(殺さない)
2、不偸盗戒(盗まない)
3、不貪婬戒(淫らな行ないをしない)
4、不妄語戒(誤ったことをいわない)
5、不酤酒戒(酒に溺れない)
に対応するものだが、否定文ではなく肯定的な表現でこれらを守るよう促したものが「5つのマインドフルネストレーニング」といえる。

 このトレーニングを実践するために、お寺でのいわゆる「在家得度式」と同じような儀式を誰でも受けることができる。
 驚いたのはリトリートに参加した人は5項(うち任意の1項でも可)を守るための誓約書を書くだけで、最終日に行なわれる「得度式」を受けることができる点だ。式への参加は無料で希望者には法名ももらえる(リトリートの参加費は有料。今回はテントに泊まって大人1人7日間で300ユーロだった)。
 5つの項目を読んで頂ければわかる通り、これらは在家の人達であっても守るべきもので、ましてや僧侶としてはごく自然に守りたいものばかりだ。この5つを厳格に守っていれば数百に及ぶという僧侶向けの「ホンモノの戒律」も守ることになるだろう。

  さらに驚いたのは参加者の中でこの「得度式」を受ける人の割合の多さだ。日本でも例えば永平寺の御受戒会では同じようなことが行なわれているが、善し悪しではなく規模と頻度が全く違う。このリトリートはプラムビレッジそれぞれの村で年中繰り返し行なわれているのだ。Upper Hamletだけでもこれだけたくさんの老若男女が「得度式」を受けたいと思わさせる力。
 ちなみに「5つのマインドフルネストレーニング」は少なくとも月に1回は5つの項目を声に出して読むことが求められる。そうしなければこの得度式は無効になる。「気軽に仏弟子」になれる反面、本気で継続して実践しないと歩めない道であることも伝えるよく練られた仕組みだと思った。鎌倉は円覚寺の横田南嶺老師が、戒と言うのは本来「よい習慣をつける」意味だとおっしゃっていたことを思い出した。

 戒律は本来人々を拘束するものではなく、自由にしていくものだからだ。初めて仏教に触れる人も迷わないように、自発的、積極的に戒律を守れるように、コミュニティ全体で深く配慮されていると感じた。何より実際にプラムビレッジに集った人々が老いも若きもこの戒律をもって自由に活き活きと暮らしている様をみると、日本の僧侶も

「戒律を守り、また実際に守ることができているか定期的にチェックする」

ことをとりいれるとよいのではないか、と思った、まずは自分から。今後受戒が世界にどのような影響を与えるのかとても楽しみになる。



 さて、チャイさんは今回唯一子供連れ、初参加、かつ日本人である私たち(他にも数名日本出身の参加者に出会った)のために色々と便宜を図ってくださった。彼女はドイツ語を話す主にドイツから来た20名程の参加者グループのまとめ役を勤め、一人一人の話に深く耳を傾けながら、同時に日本の子供達のために数カ国後が飛び交う法話や各イベントでも丁寧に日本語通訳をし、また4日目の「休息日」には子供達を近くのお城に連れていき遊んで下さった。底知れぬエネルギーは並々ならぬ慈悲の力か。彼女への感謝は言葉では表現しきれない。

 また子供達のお世話のお手伝いにと昨年出家した日本出身の二人の僧侶を紹介してもらったことも大きい。その二人とは男性の徳本天師と女性の梅田月師。徳本、梅田、と書くと日本の名字のようだがベトナム語、英語にするとそれぞれドゥックバン/マイディエン、Sky of Original Virtue/Moon over Field of Plum Blossomsという意味でとても情緒深い。
 姐さん(チャイさん)、徳さん、梅さん、日本からプラムビレッジで出家した3人の兄弟姉妹。3日目にはUpper Hamletから徳さんがNew Hamletに1日滞在して下さり、草の上に円座してお茶を淹れてくれた。日本ではお茶農園で長く仕事をしていた徳さんの日本茶は格別だ。ゆっくりと遊びながら、彼らの飾らない話しが聞けたのは心躍る出来事だった。

 New Hamletは尼僧さんの村であるため、徳さんは泊まることができない(本来はセカンドバディシステムというものがあって戒律を守るため僧侶は単独では出歩くこともできないが、今回は私が一緒であるためよいことになったようだ)日が暮れる前に彼の部屋のあるUpper Hamletまで車で送らせてもらった。片道小一時間かかる車内でたくさん話を聞き、竹林の向こうにあるタイが昔住んでいた家屋や、開山堂、坐禅堂、仏殿を一緒に拝登した。どの場も質素で温かさに溢れていた。
 
 タイはコミュニティ(サンガ)を何より大切にしているという。コミュニティは家族のようであるべきだとして、様々な言語、文化的背景を持った人々がひとつのコミュニティとして暮らしていけるように多くの工夫がなされている。
 食事後の片付けのシステム、掃除のシステムも非常によくまわっている印象を受けた。具体的な仕組みは今回聞くことができなかったが、おそらく1人1人が「自律的に」なおかつ互いを尊重しながら生活を工夫するバランス感覚が際立っていることが大きな要因だろう。
 徳さん曰く、
 例えばベトナム出身の女性の僧侶が多いニューハムレットはどちらかというとSeniority(年功序列)が強く、欧米出身の男性が多いアッパーハムレットはdemocratic(民主的)で自由な雰囲気が強い。democracyとseniority、どちらにかたよってもいけない、どちらも重要である。年配の人を敬うベトナムの伝統に加えて欧米風のdemocracyも融合し、年少の人も声をもっていることがうまく機能している。2015年にタイが病気で重体になったのを契機に、サンガの僧侶達の目が覚めた。強力なリーダーがいなくても一人一人がサンガの調和を保てるように繰り返し議論された。タイは奇跡的な回復を見せ、結果サンガの状態はよりよいものになったのだ。と。熱く語っていたのに胸を打たれた。

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 こういった一つ一つの空気感が多くの人の心に響き、「マインドフルネストレーニング」を実践したいと想えるようにする。また来年も来たいね、と皆でいわざるをえない素晴らしさ。
 私たち僧侶は坐禅堂に坐っている時だけでなく、いつどこにいても身体と人と環境を調和させるよう益々精進しなければいけない。プラムビレッジの兄弟姉妹の暮らしはそう強く想わせるに十分であった。

 最終夜のセレモニーでは大きなホールに参加者全員が集う。ホールから少し離れた屋外で、泣く子をあやしていると、美しいアリアを風が運んで来てくれた。チャイさんのバイオリンと夏来さんのピアノだろうか。
 やがて陽はとっぷり暮れ、蓮の池に広がる空には月が浮かんでいる。星で埋め尽くされた真っ暗闇を子供達が踊り回っている。もっと星が見えるところにという男の子に手を引かれ、暗がりのラズベリーの木の側に向かった。ぎゅっとにぎってくる手が温かい。子供の頃父親に手をひかれて見上げた山陰の夏夜空が、今こことつながった気がした。
 子供達が寝静まった後夜23時を過ぎてテントをたたみ始め、25時半までかかって荷物をまとめた。チャイさんが用意してくれた部屋で仮眠をとった。
 
 翌朝は5時に飛び起きて出発。梅さんがお弁当を作ってくれた。59歳でありながら率先して行動してくれるベンジャミンさんの二十歳のような若さにあらためて驚嘆する。

 休憩をはさみながら1400キロを走り、夜遅くドイツにある普門寺に到着した。
"普門寺の歴史"
http://doitsufumonji.com/history

 翌朝は普門寺の暁天坐禅二炷、朝課に参加させてもらった。美しい境内で中川正壽老師とお弟子さん、リトリートに参加していた人達と一緒に朝食を頂いた。
 大先輩でありながら優しく謙虚な声。老師のもの静かでかつ力強い姿に日本の僧侶の魅力を発見し、なんだか誇らしい気持ちになった。
 普門寺は伽藍、庭園は勿論、台所、トイレ、棚や下駄箱や窓枠の細部にいたるまで、美しく磨き上げられていた。日本の美というのか、永平寺のよい所を抽出して凝縮してまとめたような、本当に心洗われる場が広がっていた。長い時間をかけてこういったサンガをつくってきた先輩がいることを心から嬉しく想う。
 中川老師の部屋にはタイと二人で撮った写真が飾ってあった。随分前、老師が欧州に来たばかりの頃にまだ有名になる前のタイに出会った。一瞬でこの人は師となるべき人だと衝撃をうけ、教えを請うて以来、親しくさせてもらっている。普門寺の仕組みの多くもプラムビレッジを参考にさせてもらっているのだという。二人が知音とはここに来るまで全く知らなかった。そういえば「中川老師の師匠」が「私の師匠の師匠」である酒井得元老師であることも、ドイツに来てから知った。不思議なご縁はつながる。

 普門寺について、中川老師について、まだまだ書ききれないことがあるのだが、この辺りでとめておく。

 実はこの日記はもっと早く、簡単にまとめたかった。ベルリンに戻ったのが7月30日、それから既に5日が経ちながら散乱する荷物を横目にMacBookを広げている。
 一週間以上まったく「光を放つ板」に向かっていなかった身体は、たった30分でもディスプレイを凝視することがいかに不自然な運動であるかを思い出しているのだ。
 昨日も一昨日も数時間、今日は慣れてしまってもう10時間ほどかがみ込んで液晶に向かっている。
 
 人間の身体はそのような暮らしには対応しきれないのかもしれない。

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 帰路の車中、ベンジャミンさんと話したことが思い出される。
 一週間のテント生活では額にとまった蚊一匹、殺さないように暮らしていた。私たちも、草も、木も、小石も、空も、湖も、虫も、動物達も、子供達も、全てつながっているひとつの生命であるという事実を、皆、心のどこかで実感できていたからだろうか。
 ところがその翌日には、時速160キロで虫を何匹も轢き殺しながら私たちはアウトバーンを疾走しているのだ。コントのような矛盾。
 同じように滑稽な過ちが日常生活にないだろうか。

 私たちは今、ここから生活を変えていくことができる。それ以上のことはできない。今まで出会った、この旅で出会った、これから出会う、全ての存在への伝えきれない感謝を体現したく、今はここでキーボードを閉じることにする。

 

 祈諸縁吉祥福壽無量 2017年8月5日          星覚九拝



>殊謝:
前田和之氏、栄子氏、つたがわのりこ氏、岩元宏輔氏、友里氏、
樋口直樹氏、順子氏、川本博明師、柏本奈津氏、Richard Dindo氏、
堀之内礼二郎氏、真理恵氏、大谷誠治氏、恵子氏、池田真咲氏、

長谷洋介氏、菜生氏、渡邉格氏、麻理子氏、細田弘恵氏、
ネルケ無方師、森田さやか氏、安部朱美氏、正氏、安部裕城氏、真穂氏、
Andrew Thomas氏、高橋流美氏、早野拓真氏、本間志穂氏、

William Reed氏、リード京子氏、中込紘行氏、友里氏、
野崎悠氏、渡辺寿美子氏、松本直子氏、広芳勝一氏、あべみちこ氏、
荻野淳也氏、青柳美智子氏、大坂靖彦氏、小林昌美氏、藤富淳子氏、

福谷清志氏、足立平氏、Benjamin Riesenfeld氏、信方夏季氏、
山本慶子氏、深田拡慶氏、森灘智一氏、嘉子氏、西尾桂三氏、
Roger Walch氏、三好一博氏、藤井まり氏、藤井こまき氏、

千田祥幹氏、佳子氏、安野道貴氏、史氏、上野宗則氏、
辻信一氏、ソーヤー海氏、内藤真知子氏、岩元俊輔氏、早紀氏、
丸瀬和憲氏、本田かずみ氏、須藤萬夕氏、高柳寛樹氏、中川ひとみ氏、

齋嚴師、徳本師、梅田師、西田佳奈子氏、中澤佳奈氏、


>献本感謝:
『今日を死ぬことで、明日を生きる』 ネルケ無方著(http://www.kk-bestsellers.com/cgi-bin/detail.cgi?isbn=978-4-584-12548-9
『こまき食堂』藤井小牧著(http://www.chikyumaru.co.jp/detail/class_code/8-479/
『The Art of Living』Thich Nhat Hanh著(https://www.penguin.co.uk/books/1111671/the-art-of-living/)
『愛する』ティク・ナット・ハン著 西田佳奈子/シスター・チャイ・ニェム訳(http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309248035/


 追記:写真を下記サイトに掲載しました。

恒例の笹川浩仙老師の坐禅会、主催者の方からご連絡を頂きましたのでここに転載させて頂きます。

日時 :2017年7月17日(月/海の日休日)午後14時から17時(当日は現地集合です。15分前に会場にお集まり下さい)
場所 :横浜市技能文化会館 (横浜市中区万代町2ー4ー7/JR関内駅南口から徒歩五分  地下鉄伊勢佐木長者町駅出口2から徒歩3分)
参加費:1000円
連絡先:お問い合わせ、お申し込み、ご不明な点は下記、または雲水喫茶までご連絡下さい。
    清涼山天龍寺 (http://tenryuji.net/info.html 電話 0776-61-0471)

どうぞよろしゅう

星覚九拝

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ウェブサイトにて失礼致します。今日、明日、明後日と東京で坐禅会を行ないます。詳細は下記の通りです。明日土曜日は満席のようですが、本日金曜日、日曜日は空席があるようです。機運が合いましたら一緒に坐りましょう!どうぞよろしゅう

6月16日(金)18:30〜恵比寿にて

6月17日(土)10:00〜川崎市にて

6月18日(日)11:00〜飯田橋にて

祈諸縁吉慶
星覚九拝

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水と暮らしに関心をもつ全ての人へ 集会のよびかけ

ウェブサイトにて失礼致します。来週24日土曜日に鳥取県米子市で開催される集会についてお知らせです。

おおよそ以下の流れです。色々な想いが渦巻きどうしていいかわからぬままキーボードを叩いています。読みにくいとは存じますがご堪忍下されば幸いです。


<一> はじめに 集会の概要
<二> なぜ集まろうと思ったか
 >産業廃棄物最終処分場の建設計画
 >集会が必要だと感じた経緯
<三> 今、できることは何か


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<一> はじめに 集会の概要
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6月24日(土)に私の故郷、鳥取県米子市に人々が集います。13時半に米子市文化ホール前にて、皆でお茶を飲み、集い、米子市内を歩く会です。
https://www.facebook.com/events/238679379966161
(イベントページです。FBのアカウントは必要ありません)

水と暮らしについて改めて考え、行動する好い機会です。

足を運ぶことができる人は是非来て下さい。私も参ります。また、お知り合いで御足労願えそうな人、当日来れなくても興味のありそうな方がいましたら是非お知らせ下さい。少しでも多くの人にこの集まりのことを知って頂きたいです。

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<二> なぜ集まろうと思ったか
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>産業廃棄物最終処分場の建設計画

私がこの集会に足を運ぼうと思ったきっかけは、鳥取県米子市淀江町に産業廃棄物最終処分場を建設する計画があると知ったからです。淀江町は名水百選に選定された「天の真名井」の水が湧く美しい土地です。産業廃棄物最終処分場とは簡単にいうと「ゴミ捨て場」です。自宅の庭に喜んでゴミを捨てたがる人は誰もいません。

ではなぜ、その「ゴミ捨て場」を淀江町につくる計画が進んでいるのでしょうか?

私は建設計画について調べ始めました。その過程で数々の問題と共に「美しい庭にゴミ捨て場をつくる計画」を考慮せざるをえない様々な事情も発見することになりました。中でも最も大きな発見は、これは日本の片田舎だけに限った話ではなく、現代社会に生きる全ての人類が今、同様に抱えている問題の構造と共通していることでした。

 >集会が必要だと感じた経緯

以下、何もせずにはいられぬと思うに至った経緯を書きます。



5月15日(月)、鳥取県智頭町のあるパン屋さんでこの計画のことを初めて耳にしました。その日はあまり気にならなかったのですが、三日後にそこから遠く離れた鳥取県米子市にある別のパン屋さんで、智頭町のパン屋さんでもお会いした森田さやかさんというアーティストに偶然再会しました(よほどパン屋さん好きなのかも知れません。。。)彼女から淀江町の産業廃棄物最終処分場の建設計画があることを改めて聞き、興味を持って調べ始めました。

5月21日(日)、山本節子さんの講演会があることを知り、伺いました。彼女は長くゴミ問題に関わり、弱者の立場にたった大変貴い活動をされている方です。著書『ゴミを燃やす社会』、訳書『ラブキャナルー産廃処分場跡地に住んで』を拝読し、色々なことを感じました(まずは自分の不勉強を恥じました)。
https://www.facebook.com/events/338082476608916
(山本節子さん講演会のイベントページです)

その後奈良を訪れました。以前訪れた時には豊かな田んぼだったところが埋め立てられて老人ホームになっていました。この国のこれからを考えさせられました。
https://www.facebook.com/events/958398084234465
(高畑の「田んぼ」と「景観」を守る会の署名を募っていたページです)

その後和歌山、山梨、東京、京都、慌ただしく旅を続けながらずっと建設計画のことが気になっていました。もはや他人事ではありません。自分の故郷の水源で起きている問題に、どうしても、今、私が関わらずにはいられない気持ちになりました。

6月9日(金)に伊根町から丹後鉄道、山陰本線で山陰の美しい景色を眺めながら再び実家に戻りました。すぐに森田さやかさんに電話しました。するとちょうど彼女の友人達が米子市長である伊木隆司さんにお会いしたところで、今後どうするかを共有したかったといいます。そこで、もしお時間許せば現況を聞かせてもらえないかと御願いしました。

6月10日(土)の19時から、駅前のお店でお会いできることになりました。そこにはさやかさんだけでなく多くの人が集まって下さることになりました。15人以上集まり、私を含め男性は2人、他は全て女性でした。中には高校生もいました。

輪になって一人一人の話を聞きました。一人一人が地域や自然の調和を考え、真摯な行動を重ねている様子が伝わってきました。自分の生活がある中で、それは簡単なことではありません。こうして活動して下さっていることへの深い敬意と感謝を抱かずにはいられませんでした。いい村は女が元気だと聞いています。とても頼もしくなりました。

そこでは伊木隆司さんとの面会の様子も聞くことができました。

まず第一に感じたのはこの地域への希望です。市長さんがこうやって市民と会って対話してくれることの有り難さ。一つの地域を代表する立場、一体どれほどの重圧、多忙さでしょう。色々な人の色々な意見を聞く一方、御自身の意見を何のしがらみも無く聞いてもらえる機会がどれだけあるのでしょう。そんな中でも市民と対話の意志を示してくれる市長さんを私は尊敬します。


その後も皆で話し合い、できるだけ多くの地元の人達を巻き込んで、意見の違いを越えてこの問題を共有しようという流れになり、6月24日に集会を開くことになったというわけです。

6月11日(日)朝10時、昨日お店に来てくれた中のお二人と一緒に三人で、早速警察署に集会の届けを出しにいきました。休日で受付てもらうことはできませんでしたが、翌日の案内を丁寧にしてもらいました。

6月12日(月)朝10時、再び警察署にいきました。昨日の三人とさらにもう一人、合計四人で集会の届けを出しました。警察の方は大変親切に相談にのって下さり、公園などの候補地を検討し、多くの意見を聞きたいという想いから、たくさんの人達が集える米子市文化ホール前に集まり、その後市内を歩く計画になりました。

翌13日(火)から再び旅が始まりました、その間に24日の集会について知らせるイベントページができました。
https://www.facebook.com/events/238679379966161
(冒頭のリンクと同じです)

なんとも表現し難い気持ち。

さやかさんや、一緒に警察署にいってくれた方にその想いをそのまま御伝えしたところ、それを行動に移せるのは星覚さんしかいない、是非実践して欲しい、と応援して下さりました。

色々と悩んだ結果、とにかくまずは今の想いを言葉にすると決めた次第です。

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<三> 今、できることは何か
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それでは今、できることは何でしょう。

一番に書いておきたいのは「和をもって貴しとなすこと」です。

そう聞くとそんなキレイゴトを言っても実際には何もできない、と考える人もいるかもしれません。

確かにそれは容易ではありません。あるいはただの非現実的なスローガンになってしまうでしょう。

しかし経験上、やり方を間違えず行動が伴えば「非現実的」どころか実際には一番現実的な方法と言わざるをえません。「和をもって貴しとなす」とは「下手に出る」ことではありません。自分の事情は内に秘め、相手の言い分を聞きながら、道理に合った生き方を皆が実践せずにはいられない環境を調えることは十分可能です。

また、今回の場合「迅速に行動しなければいけないこと」と「時間をかけて地道に行動しなければいけないこと」をわけて考える必要があります。



「迅速に行動しなければいけないこと」の第一は身体と心をひとつにすること。そうすればその場に応じ的確に行動し、間違っていることは放っておけなくなります。ところが(特に私は人に好かれたいという想いが強く)身体と心がバラバラになりがち。これをひとつにした上で、会うべき人に会い、想いに耳を傾け、言葉にすべきことを言葉にしたいです。



「時間をかけて地道に行動しなければいけないこと」は、より実践している人を見つけ、真似をすることです。

そういった人は探せばたくさんいます。一例としてネルケ無方さんを挙げることができるでしょう。彼はドイツ出身ながら現在山陰にある安泰寺に住み、世界中から集った人達と自給自足の生活を営んでいます。「どうやって暮らしていけるのか」と聞きたくなるようなゴミをほとんど出さない暮らし。それを出自や思想、言語の壁も越えて現に実践している人達がいるのです。

それら全てを真似する必要はありませんが、なぜ彼らがそのような生き方を実現できているのか、調べてみることはできます。

無方さんはお坊さんである程度名前が知られていますが、黙々と、よりゴミをださない暮らしを普通にしている人は、知られていないだけで実はたくさんいるはずです。例えばそういった人達に気づき、そこから謙虚に学んでいく姿勢。それは「和をもって貴しとなす」ひとつの例です。そういったものは、隣人や、次々の世代にまで、必ず伝わります。





長くなってしまいました。
自然が私たちのゆたかな暮らしを支えていることは疑いようがありません。それを大切にしたい気持ちは古今東西の人々に共通です。その一方で産業や経済も私たちのゆたかな暮らしを支える大切な要素です。実際に処分場を建設することによる経済効果は多大なものであると期待されます。自然を守ることは勿論大事ですが、同じように人間の暮らしを守ることも大事です。

このような白黒選び難い問題は、道理にかなったことを認め、不正をゆるさないことは勿論ですが、白も黒も同時に選ぶ新たな道を再発見する智慧が求められます。

そこで皆さんの力を貸して頂きたい。

「三人よれば文殊の智慧」ということわざがあります。一人ではどうしても偏った考えに陥りがちですが、まずは声をかけ合い、息を合わせ、意見の違いを認めた上で共に集い、歩くことが第一歩。二人、三人と集まれば、それだけで歩むべき道筋が自ずから見えてきます。


処分場は必要なのか、必要であるとしたらどのような処分場にすればよいのか、必要ないとしたら私たちはどのような暮らしを目指せばいいのか。和を広げていくことが大きな力となります。

6月24日(土)の13時半、鳥取県米子市文化ホール前にどうか来て下さい。多己の想いを聞くきっかけとなれば嬉しいです。

長文乱文、読んで下さりありがとうございます。

平成二十九年六月十六日

祈諸縁吉祥福壽無量
星覚九拝


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I'm now on a journey through Japan. Left Berlin and visited Tokyo, Kyoto, Fukui, Osaka, Chizu, Antaiji, and now reached Yonago, my parent's country side.

Yesterday, I met the lady who I got to know just a few days ago by sheer coincidence at a bakery nearby. As we chatted, I was surprised to find out that there is a plan to construct a "Waste Management Facility" in this area, at the foot of beautiful Mt. Daisen.

First of all, I felt grave reflection that I am one of a course of this waste problem, producing so much wastes in the city life. What a shameful state as a Zen monk! Why did Dogen-Zenji(founder of the head Zen temple -Eiheiji) kept on practicing the life without environmental load...

Next, I felt great esteem for the people I met in my life, especially last week, who are sincerely practicing the way harmonized with nature, such as Yosuke, Nao, Itaru, Mariko, Muho...

There will be a lecture about this waste problem the day after tomorrow 21 May(sun, tomorrow right now) in Yonago Culture Hall.
If you have some relation to the problem, please think about the event.

There will be another event, on the 1.2.3 June. My friend Bernd will invite Mari Fujii and host an Shojin Ryori(Traditional Vegan Zen-Temple Cuisine of Japan)
Please also visit the event if you have some interest towards this topic.

I leave for Nara this weekend and will keep on traveling. It will be difficult to update blogs.  I would like to express my deep appreciation for the support provided for the enactment of this journey.

with gratitude and prayers
Seigaku 9 hai

Hailing, Will you share not only the bikes, but also the benches... 

with prayers
Seigaku 9 hai

日本語 / Deutsch

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ウェブサイトより失礼致します。星覚です。

今月末4月29日より5月10日まで、ベトナム出身の禅僧、ティク・ナット・ハン師のお弟子さん達を日本に招いて6つの興味深いイベントが開催されることを聞き及び、この場を借りてお知らせ致します。
(イベント詳細は下記リンクをご参照下さい。http://tnhsangha.wixsite.com/2017pvjapantour

プラムヴィレッジはフランスにある仏教の僧院・瞑想センターです。

随分前に彼の地を訪れた松下弓月師から話を聞き、拙僧がいつか参拝したいと思っている憧れの場所。創設者であるティク・ナット・ハン師は現在、世界で最もよく知られ、最も尊敬されている禅師の一人です。

昨年ドイツで日本出身のプラムヴィレッジのシスター(尼僧さん)とお会いする機会があり、また友人が6つのイベントの1つで4月30日で早稲田大学で開催される「教育者のためのマインドフルネス・デー」を企画していることなどご縁が深まっていることを有り難く感じていたところでした。

他にもプラムヴィレッジの僧侶団と全日本仏教青年会が「2018世界仏教徒青年連盟WFBY世界大会招致記念事業」として東京都は増上寺で開催する「日本人僧侶向けマインドフルリトリート」など、興味深い企画がたくさんあります。

関心のある方がいましたら是非御参加下さい!
星覚九拝

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(シスターから頂いた写真はミモサ、水仙、モクレン、梅がさきみだれるプラムヴィレッジ春のリトリートの様子です)

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