雲水喫茶の日替りマスター!!

お金を食べるさみしさ

一時帰国で日本に滞在して三週間が経ち、色々と身心に変化が出てきました。
特に食とさみしさとお金との感覚の変化が著しいです。

田舎を旅しているときはそうでもないのですが、特に大都市にいるとさみしさがこみ上げてきます。時間的な余裕があってはいけないような雰囲気に流され、合理的な行動でスケジュールがぎっしりうまっていく。きままにその瞬間思いついた行動をとり、感謝をして縁に出会う余白はほとんどありません。全てのコトガラが思考された範囲に収まっていく感覚は、なんともいえないさみしさを伴うのです。
そして、どうするかというと、お金を使って食べる。

ふと思い立ち、まだ草木も眠る深夜2時頃から浅草の街を歩きました(訳あって終電を逃したからで、こんな時間に歩くのは初めてです。念のため・・・浅草と言えばKAKUさんですが、流石に寝ていると思って訪問できませんでした)。スカイツリーを眺め、隅田川を渡り、コンビニ、漫画喫茶など夜明けを待って浮浪する老若男女と時間を共にしているとお腹が空いてきます。





背中の曲がった浮浪者風のおじいさんと24時間営業のマクドナルドに入りました。
マックのポテトを口にするのは随分久しぶりです。

おじいさんはレジで「フィレオフィッシュとローストコーヒーとポテト」と命令口調。おじいさんと同じくらいの年齢のバイトのおじいさんが、チーフらしき若い男性の指示に必死で従いレジを打ちます。

僕も「ようーし」とおもってドキドキしながら命令してみました。
「ポテトのエルと野菜生活!」

「はい、かしこまりました!」
「3分少々お時間かかりますけどよろしいでしょうか?」

申し訳なさそうに頭を下げ、慣れない手つきでへいこらと一生懸命紙フクロに入った大量のポテトをフライヤーに投げ込むバイトのおじいさん。

「まるで神様みたいな扱われ方だな」

おじいさんの顔に不機嫌さが浮かび上がるだろうとの予想を裏切られ、驚いてしまいました。自分ならこんな悪態をつく若造には正直ポテトは揚げたくありません。

なぜへいこらするの?お坊さんだから?
いやいや、セーター着てるし、帽子をかぶってますからわからないはず。

お金を持ってるから?
いやいや、小計250円です。

250円でこんな時間にポテトを揚げますか、普通?むしろこちらがへいこらお願いする方です。

深々と合掌一礼した後
「ごめんください!こんな夜中に恐れ入りますが、ポテトが食べたくなってしまいました。お手数をおかけしますが、ひとつ、揚げて頂けませんでしょうか?あ、勿論こんなお時間でお休みにもなりたいでしょうからおてすきの時に、で構いません。あ、あの、あと喉も乾いたので、できれば野菜生活も頂ければ嬉しいのですが、よろしいでしょうか?あ、3分でできるのですか?それはすごいですね・・・ありがとうございます!」
ぐらいのことはしてもいいでしょう。

深夜にふらりときた見ず知らずの相手にポテトを揚げて頂くのですから、言葉にするかどうかは別としてそんなキャッチボールがあるのが、むしろ自然なのではないでしょうか。

それが250円をプラスチックのトレイに置くだけで、まるで相手が召使いであるかのように命令してしまう。受け取った方も相手が神様であるかのように反応してしまう。

東京にいると、お金を使ってサービスをうけることが当然のように慣れてしまいます。そしてそこに本当はあったはずの心の循環を省いてしまう。

心の所作が無くなったお金だけのキャッチボールは、さみしさだけをふくらませます。満たされないけど、選択肢がないからまたそこにチャンネルをあわせて溜まっていくさみしさ。





娑婆の修行はなかなか厳しいものです。
ともすると呆然としてしまいます。

そんな時の温かい言葉。

「お客様」

お店を去って一寸後、息を切らして忘れ物を届けてくれたバイトのお兄さん。

礼を忘れて行動してしまった時も、さみしさに押しつぶされることなく
大切なものに気づけるのは、どんな時も慈悲を持って接して下さるみんなのおかげです。

いつもありがとうございます。
これから文京区で坐禅の後、摂心のため永平寺に上山します。
今週も好い日々となりますように・・・

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2012/12/02  by

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