モスクワの空港で、キーボードを叩いています。
世界中どこにいても、距離やコストをほとんど気にせずに世界に想いを伝えることができる。
こんなことが可能になるなんて、20年前は僕もふくめほとんどの人が想像もできなかったでしょう。
「うーん、技術の進歩はすばらしい」
いや、今日はそういう話ではく、今後僕たちが歩むべき道の話です。
成田空港で大学時代の部活の後輩にばったり出会いました。ドイツで自動車関係の仕事をしていると友人から伝え聞いていて、会いたいなと思っていた後輩でした。
「星太郎さ〜ん」
「おう〜嬉しいな〜」
まるでお互い会うことを知っていたかのような雰囲気。卒業以来、ほぼ10年ぶりくらいでしょうか。それにも関わらずまるで試合前のウォーミングアップに集合した時のような自然さでお互いの家族の話をしました。最近こういった、ちょっと常識では考えられない「自然な偶然」が頻繁に起きます。
たまたま、たまたまが続くのでしょうか?
もう「たまたま、たまたま」がたまたまでなさすぎて、偶然で片付けるには無理がある気がします。
でも、昔からいろんな人達がいっています。
・想いはもともとひとつにつながっていて、人間は時空を超えて相互にそれを伝えることができる。
これを聞いてどう思いますか?
そんなナンダカ宗教みたいなこといって!と言われてしまいそうです。
ちょっと想像もできない非常識な考え方かもしれません。
でも今、実際こうやってモスクワから世界中へつながっている想いの「確認」ができている。ようやく追いついた技術の進歩が、そんなナンダカを充分信じるに足る段階にきているのではないでしょうか?
そう考えると閉塞感が漂い、歴史上最も行き詰まっている(と僕は思います)現代は、歴史上最も可能性に溢れた世界に思えてきます。
今から20年後に世界はどうなっているのでしょうか。ほとんどの人が想像もできない真っ暗な荒野に、たしかな歩みで道を描いてきた先人達がいたからこそ今の世界があって、さらにその新たな道を照らし出していくすごーい力が、大好きな日本という国にはあると思うのです。
好い一週間になりますように・・・
ちょくちょくブログを拝見させていただいてます。
現代はそれはそれは便利で快適な世の中となりました。
色んな情報も入手でき、知識も得ることができます。
…が、たまにふと寂しくもなります。
あまりにも膨大な情報があふれかえっていて、自分の頭の中で整理しきれなくなってしまうんでしょうね。
そんな時にこそ禅が必要なのかもしれません。
最近では植物に水をあげたり、絵画に見入っている時など心が落ち着いている事に気がつきます。
昔はそんなことなかったのになぁ。。。
絵画といえば植田莫さんという方の作品がとても素敵なのです。
時間がある時にぜひネットでちらっと検索してみてください。(…なんだかんだ言っといて結局インターネット生活なのである。)
植田莫さんの作品、ネットで拝見しました。懐かしいような新しいような不思議な鮮やかさのあるアートですね。ふと寂しくなる世の中でも一生懸命生きていけるよう精進したいと思います!