雲水喫茶の日替りマスター!!

5つのパンと2匹の魚

もう20年も前のことですが、キリスト教系の学校に行っていた私は聖書には嘘が書かれていると思いました。

「5つのパンと2匹の魚があった。イエスはそれらに祈りをささげて集まった人達にわけると、みながお腹いっぱいになった。集まった人達は男、女、子供、5000人ほどであった」

だいたいこのような話が書かれていたと記憶しています。随分前のことなので多少の勘違いはあるかもしれませんが、とにかく中学生の私が「絶対無理でしょ、それ!」と確信を持ってツッコミをいれるに足る数字だったことは間違いありません。

もし3人でわけて食べたのならそれはただのピックニックですから。



似たような話(あまり似てないか)が「祇園正儀」という仏教の経典にもあります。これは永平寺で年に二回行われる摂心(特別な修業期間)で毎朝読むものです。経本が手元にあるので引用します。



「唯だ本院の荘課、一歳の所得をもって、均しく三百六十分と作し、日に一分を取って之を用い、更に人に随って添減せず。以て飯に備うべきには則ち飯と作し、飯と作すに足らざれば則ち粥と作し、粥と作すに足らざれば則ち米湯と作すべし」

(「一年で手に入るお米を、360にわけて、毎日その日の分だけを使い、人の数にあわせてふやしたりへらしたりはしなかった。ご飯ができればご飯にし、ご飯ができなければお粥にし、お粥ができなければ米湯にする」といった意味でしょうか)

これなら具体的なお米の量は書いてありませんし、お寺での生活はいつも本当にそんな具合なので得心がいきます。

それに少ない量のご飯でもみんなでわけあってゆっくり大切に食べるとなんだか幸せな満腹感がえられる経験をしたことがあるのは私だけではないと思います。



さて、前置きが随分長くなりました。

今週は日本から3人のお客さんが来ています。狭いアパートで元々シェアをしているので、寝る時は二つの部屋で合計8人が川の字になるという合宿状態。さらに来週はもう1人加わります。

どうなってしまうのかとっても心配でしたが、いざやってみるとなんとかなるものです。

今日の夕方には毎日坐禅に来てくれる南ドイツ出身のアレックスがタイ料理をたくさん持って来てくれたのでみんなで頂きました。彼はベルリンにあるタイのお寺にも通っていて、そこでたくさん食べ物があまるのだと言います。



そういえば!



聖書には「アレックスくん」がいなかったとは書いてありませんでした。

彼のような人がたくさんいたらどうでしょう。イエスが分け始めた時は、たしかにパンが5つと魚が2匹だったかもしれないけれど、皆が持ち寄り、祈り、わけあって食べたのなら5000人でも10000人でも何も不思議ではありません。

イエスさん、やるじゃない!

満足そうに微笑んでいる彼を想像すると、なんだか今日も一日なんとかなるような気がしてきました。

今週も好い一週間になりますように!

星覚九拝

2013/06/02  by

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