週末に近所でデモがあったので行ってきました。
(デモについての詳細はこちらの英語サイトから見ることができます http://www.ausgestrahlt.de/ueber-uns/english0.html )
とても楽しかったです。
デモが楽しかった、と聞くとちょっとおかしな響きかもしれませんが、お祭りに参加した時のような胸躍る感覚が確かにありました。
日本で日程があえばできるだけ足を運んでいた国会議事堂前。
http://www.higan.net/unsui/2012/12/1111-3.html
http://www.higan.net/unsui/2012/07/post-38.html
その時とはまたひと味違うベルリンのデモの様子をまずは写真でご覧下さい。
ベルリン中央駅の前が何だか普段と様子が違います。

いつもは交通量の多い「Rahel-Hirsch通り」に車が一台も走っていません。
そのかわりに人、人、人。
人の波は橋をこえて、都心であるFriedrich通りの方まで延々と続いています。


FUKUSHIMAの文字を見ると胸が痛みます。


音楽を奏でる人や



静かに掲げられたメッセージ


美女も

赤ちゃんも

犬まで参加

ついには柱にのぼる人まで(苦笑)。

警察官もいますが、何だかポツンと。。

真剣な行事なのに、みんなとっても楽しそうです。
デモと言えば多くの人が連想するシュプレヒコールはドイツ語の表現ですが、叫んでいる人は誰もいません。
音楽を奏でている人以外はみんな静かにただ、歩いています。
日本ではどんなカタチのデモができるだろう。
とにかく黙って、でも只そこにいて連帯する「ただ、何もしない」デモがいいんじゃないか。
ベルリナー達の様子を見ていて思いました。
日本人は自我を切り離して論理的に相手を批判することが苦手です。
(得意だ!という人も無論いると思いますが、断定すみません)
相手の痛みや過ちを自分のものとする豊かな感性と優しさがそれを邪魔しているのではないでしょうか。
批判したくなる相手の短所は必ず自分自身につながっている。
それを認識できることは日本人の良さでもありますが、現代社会では生きづらいことです。
例えば・・・
「人の心を軽視した、経済中心の世の中いやだ!」
そう思っていながら私が今朝買ったクロワッサンは、経済活動の結果です。
強欲資本主義とささやかな現金での買い物の間にどうやって明確な線がひけますか。
いったいどうしたらいいのか、考えれば考える程わからなくなってしまいます。
それでも、どうしても、表現せずにいられない心の叫びを身体で現す。
そんな「せずにはいられない実践」が必要な時期がきているのかもしれません。
自分にとってそれは何なのか。
引き続き参究していきたいと思います。
好い師走の日々となりますうに・・・!
星覚九拝
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