昨日いつもの路上に托鉢に行くと、そのすぐ隣でマダガスカル出身だという青年がギターを弾き語っていました。
ことわりをいれると青空のような笑顔で快諾してくれたので、その場でいつも通り托鉢を始めました。
彼の演奏はとっても素晴らしく、集まってくるたくさんの人が全身でリズムを刻んでいます。じっと黙っている私の前を全く素通りして、楽器ケースに次々と放り込まれる硬貨。
アァ イイナァ
あやうく私も踊り出しそうになるのを必死でこらえながら
托鉢を忘れて路上ライブを満喫していました。
とその時。
小さな子供が私が持っていた鉢に硬貨を入れてくれたのです。
全く予想していなかったので驚きました。
ボクハ キミニ ナニモ シテアゲテナイヨ
"「売れる」事はいつも「誤解」という理解に近い。だから誤解の中に感動があるんだ。"
大瀧さんがまだ「売れていなかった」頃のインタビューの回想が、なんだかとっても印象的でずっと心に残っていたのです。
まだヨチヨチとあるく坊やは何を思って鉢に硬貨を入れてくれたのでしょうか。
托鉢は何かを彼に伝えることができたのでしょうか。
もし、私の鉢にたくさんの硬貨が放り込まれ、たくさんの人に「感動」を与えたりなんかすることがあった日には、
よくよくこのことについて考えなくてはいけないな。
そんなことを感じました。
あ、ちなみに、私が路上ライブに対抗して尺八でも吹いてやろうと企てていることはもっぱらのヒミツです。
今週も好い日々となりますように・・・
星覚九拝
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