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戒律の意味

戒律の意味(2014年5月30日/自転車を盗まれて走り書き)

歩いてメタマテまで行った。案外近かった。こんな近くだったんだ。もしかしたら自転車で事故にあったかもしれない。出ていくことは、何かが入ってくること。いっちゃんにだっていいかもしれない。そうやって自分をなっとくさせようとしているのは、そう、(チャイルドシート付きの)自転車を盗まれたからだ。摂心から戻ったのは21時過ぎ、普段なら寝ている時間だ。翌朝はいつも通りメタマテで坐禅。気づいたらなかった。あ、ない、と思って家に帰る。怒り、恨み、憎悪が湧いてくる。子供が使っていることがわからないのか、朝早くに悪い人はいないはず、といっていたことを怒られていたので、どうしよう、鍵をかけていたことにしようか・・・うそをついたり、言い訳を考えたり、どうするの?ただでさえギリギリの生活なのに、もう買えないよ!と妻も最初はすごく機嫌がわるかった。せっかく楽しみにしていた一日だったのに気分が台無し!どうしてそう不注意なの?と。もしかしたらいい人がやむを得ずやったかもしれない。それも考えたけどそんなわけない。手間もかかるし!みんなのものってわかってるけど怒りが湧いてくるのがとってもいやだって。何も私達からとらなくても〜!一週間の摂心のあと久しぶりに一緒に過ごすとても楽しみにしていたようだ。悪いことをした。が、でもよく考えると悪くはないよね。自分のものだと思っていた。けどみんなの善意のお金で買ったものだし、他の方法を考えよう、と色々代わりの案を提案してくれた。でもやっぱり一番好くないのは、盗ろうという気持ちを起こさせたことだよ。有り難かった。自分を殺させるのもよくない。生きねばならない。   戒は自由になるためにある。決して人を責めない。盗難にあった人には同情の言葉を優しくかける。災難に遭うがよく候、と言えるのはその人を自分自身のように感じているからこそだ。「覚縁」。他人は責めないが、自己と認めたものは責める。だから家庭厳畯。その感覚、つまり「同心・一心」を持つ。    地球を愛している人からものを壊すのは盗難にならないの?自分が(戒を、自分を、)守るというのは他の人を自由にする。他の人に警戒心をおこさせないこと。会ったらどなるかもしれないし、なぐるかもしれない。戒を守っている間は、他の一切のことに関しては自由自在になる。戒は自由になるための作法。    逆に自分が勝手に自由になろうとすると、地球や他の一切もそれに対応しようと警戒心を発する。それによって自由に対応しようとする。他の一切から深浅意識無意識の制限がかかり、かえって過去未来にしばられる、瞬間瞬間に自由になることができなくなる。    十戒だけでいい、そんなカンタンなこと、と気にもしていなかったけれど、これを相手にもさせないように、ということとして考えるととっても深い。なかなか難しい。

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2014/06/02  by

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