雲水喫茶の日替りマスター!!

サンフランシスコの貧

「学道は先づすべからく貧を学すべし」

正法眼蔵随聞記で道元禅師が「貧」を説いていることについてクロアチア出身のトミーが
「まるで "Franz von Assisi" のようだね」と言いました。

「え?なんだって?」

「"Franz von Assisi"だよ」

聞き取れなかったので書いてもらって調べてみると、12世紀のカトリック教会修道士「アッシジのフランチェスコ」さんのことだとわかりました。欧米では大変有名な方のようで昨年就任した現ローマ教皇や、アメリカ西海岸のサンフランシスコもその名前に因んでいて、マザーテレサも彼の人生に影響を受け、修道女を目指したとか。

その彼もまた「貧」をとても大切にしていたそうです。ほぼ同じ時代を生きたフランチェスコさんと道元さん、彼らは一体どのような暮らしをおくっていたのでしょうか。



貧とは何か。



そのホントのトコロを学んでこの星全体で大切にする
800年近い年月が経った今だもの、そろそろできるんじゃないかな
コワいけど勇気ひとつに、いや、できるはずだよ



今週も好い日々となりますように!



星覚九拝



(原文)
 一日ある客僧の云く、「近代の遁世の法、各々時料等の事、かまへて、後、わづらひなきやうに支度す。これ小事なりと云へども学道の資縁なり。かけぬれば事の違乱出来る。今この御様を承り及ぶに、一切その支度無く、ただ天運にまかすと。こと実ならば、後時の違乱あらん。如何。」
 示に云く、事皆先証あり。敢て私曲を存ずるにあらず。西天東地の仏祖皆是のごとし。私に活計を至さん、尽期有るべからず。またいかにすべしとも定相なし。この様は、仏祖皆行じ来れるところ、私なし。若し事闕如し絶食せば、その時こそ退しもし、方便をもめぐらさめ。かねて思ふべきにあらず。

(現代語訳)
 ある日、さる客僧が問うて言った。
「近頃の遁世のやり方は、めいめいに寒暑を防ぐ用意などをして、できるだけ、あとで困らないように準備をします。これらのことは、小さいことではございますが、仏道を学ぶ助けとなるものでございます。これが不足しますと、修行に乱れもおこってまいります。ところが、今、こちら様のご様子を承りますと、いっさいそのような準備はなく、ただ天運にまかせていらっしゃるとのことでございます。それがほんとうなら、あとあと、うまくいかないことも起こりましょう。いかがなもので。」
 道元禅師が教えて言われた。
 それについては、みな昔の人の実例がある。わたしがあえて自分だけの考えでやっているのではない。インド、中国の仏祖はみな、この通りである。自分のはからいで暮らしを立てようとしたらきりがあるまい。またどの程度ならいいというきまった標準もない。わたしの今のやり方は、仏祖がみな実行してこられたところで、わたしの個人的な考えではない。もしその日の生活に事欠き、いよいよ食べ物もなくなったら、その時には、この勇ましいやり方を引っ込めもし、対策も講じよう、前もって考えるべき事ではない。

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2014/09/01  by

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