鳥取県西部の窯元を尋ねました。「友人が茶碗を探している」というと「それならばここにいくしかない」と父親が案内してくれたのです。

父はこの窯の二代目「嘉章さん」の奥さんに大変お世話になり、学生の頃は授業をさぼって、教員になったら休みをとって、一日中窯の側にある茶室から日野川の流れを眺めていたそうです。「水爆大怪獣ゴジラ」が公開され、東京タワーが建った時分です。
「嘉章さん」のお孫さんである四代目の「真澄さん」にお会いすることができました。最初はいぶかしげな顔をしていましたが父の名前を聞いてパッと目の色を変える四代目。まだ「こまい」(「とても小さい」の方言)とき、清流の土手を肩車で一緒に散歩したこと、たくさん遊んでもらったこと、湧き出すように話してくれました。そんなこと聞くのは私も初めてです。
茶碗だって百円ショップで買い捨てられてしまう時代。飲むという目的「だけ」ならたしかにヒャクエンでジュウブンです。
「そこへきてン万円の値段がするものを作っていく。そんな作業はもう無理ですわ、ムリムリムリ・・・。私の代で、もう無理ですわ。いや、難しい!」
口では笑いながら、真澄さん。
でもでも子供のようにいたずらっぽい瞳の奥には伝統を受け継ぐ自信と誇り、燃え盛る情熱の炎を感じます。高校を卒業して40年、陶芸作りに全てを捧げてきた匠の眼。
木々をのぞき草を刈り、余分なものを取り除いて猫車一杯の土を収穫します。重機の入れないところにある良土を窯まで持って帰る。その作業だけで丸三日かかるそうです。今なら通販で世界中の土が手に入りますが、どの土も納得がいく作品に仕上がらないそうです。
「初代がどうしてこの場所に窯を作ったか、今はわかるかな」
側をたおやかに走る魚をチラリと見ながら真澄さんは言いました。

(こねてこねて、十年寝かせてようやく納得のいく形ができる土に仕上がりました。その土で焼いたのがこの作品)


(竃には炎の神様が祭ってあります)



「辛抱の時、流れがある」と四代目、ニヤリ。
人々の価値観が変わりつつある今、潮流の激変は「ムリムリムリ」から始まるのかもしれません。そういえばこれも価値観の変化でしょうか、来週の今日は永平寺や総持寺に伝わる所作を東京で見ることができるようです。
今週も好い日々となりますように!
祈諸縁吉祥福壽無量
星覚九拝
法勝寺焼松花窯(ほっしょうじやきしょうかがま)
コメントする