あっ!!というまに5月も明日で最後。
一昨日はiPadが発売されました。
すごい便利だし、スタイリッシュだし、生活を変えるわくわくする発明だと想う。
けれどもなにかどこか違和感がある。
なんだろう。
なにかこの違和感。
年越しは毎年家族で集まってるんだけど、こないだiPhoneも一緒に実家に帰った時。
iPhoneと向き合ってる時間がなんかすごい寂しい気がした。
せっかく実家に帰ってるんだから。
やっぱりデジタル機器を使いこなすには、それが機械であり、色を変えて光るツブツブがいっぱい並んだガラスの平面を見つめている、という意識を常に持たないと。
この違和感はそんなところから来ているのではないか。
これからもとまることなく技術の進歩は続き、わくわくするような新しい製品が登場するだろう。
でも、よくよく考えてみたい。
雲水は食事の前にかならず唱える。
「ヒトツニハコウノタショウヲハカリカノライショヲハカル」
誰のどんな行為のおかげで目の前のものがあるのか、想像を膨らませてみる。
この液晶を作る為に犠牲になっているものはないのか、これが運ばれてくる為にはどんな苦労があるのか、これが動く為の電気は何をすることでつくられているのか・・・
そう考えると、人生というものと情報機器の関係を再考したくなる。
誰もが必ず裸で生まれ、裸で死んでいく。黄泉の国までiPhoneを持っていける人がいたら是非お会いしたい。
Little Starのあっちゃんのこないだの記事の言葉を借りるなら、情報機器との「距離感」とでもいうのだろうか。
そんなものを大切にしたい。そもそも生きるって何が楽しいのか。
よくよく考えた上で、現代の技術の粋を楽しみたいものである。
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