今日の禅語:「潜行密用は愚の如く魯の如し」
永平寺で毎朝唱えるお経の中の一節。
一番好きな禅語のひとつです。
本当に大切なことは人知れず行うことで、それは愚(おろかもの)や魯(でくのぼう)と想われてしまうようなことも多い。
このお経はこの後「只よく、相続するを主中の主と名づく」と結ばれます。
続けていくことが大切。
永平寺では一年ぐらいなんでこんなことをやっているのかと想うことがよくありました。
それこそいやいやながら「相続」していたのがある時、はっとその意味に気づかされることがありました。そうやって気づいたことは本当に身体に染み入ります。
例えば仏壇にご飯を備えること。朝二時半に山内の至る所にご飯をおいてまわっても、勿論誰も食べたりなんかしやしません。朝のお経が終わると今度はそれを回収しなくてはいけません。
でもある時、はっと気づきました。
何に気づいたかはちょっと想像してみてほしいんです。
「潜行密用は愚の如く魯の如し」
効率や利益が最優先される世の中でとても心強い言葉です。
今日から二週間お盆休みを頂きますが、その間何か一つ、どんな些細なことでもいいので意識して「相続」してみて下さい。
自分が一番好きなことを!
以前に貴兄から直接聞きましたが、本当は「潜行〝密〟用」が正しい字だけど、「般若波羅蜜」(智慧の完成)の〝蜜〟を敢えて使っているそうですね。
私は3年ほど前からずっと貴兄の運営するサイトを拝見してますが、この句をかなり頻繁に使っているにも関わらず、敢えて〝蜜〟を使う理由について説明した記事はないように記憶しています。
貴兄の意図を伝えるためにも、この事を附記するべきだと思うのですが…
いつもコメントありがとう!!!
たしかに説明したことはなかったね。
正しくは密です。そちらを使うようにしましょう。
どうして潜行密用の密は、般若波羅蜜の蜜じゃないのか知っている人がいたらご教授下さい!!
「潜行…」の語が出てくる「宝鏡三昧」(ほうきょうざんまい)という経典は、中国語の原文ではほぼ全文が四字・あるいは五字の句で構成された精緻な語録ですが、
「潜って」(人に知られないように)行なう。
「密かに」(人に知られないように)用いる。
それは「愚かで」「無知な(魯)」もののようだ(が、それこそが大切なのだ)
という意味なので、「蜜」では対にならないと思います。私は専門家ではないので断定はできませんが、誤訳の可能性はおそらくないでしょう。ただ、敢えて「蜜」に変えた貴兄の発想はとてもユニークだと思います。貴兄の書を見た人に、その意図を正確に理解してほしいと私は思います。
流石耕志君、なるほど!上山時からいつもありがとう。勝手な解釈で故人の智慧を伝えぬようさらにさらに参究が必要だと改めて感じました。今後紹介する時には気をつけます。
引き続き、御指導宜しくお願い致します!!