さて、摂心や収録で永平寺を慌ただしく往復する生活で気づいてみたらもうあっという間に12月も半ばです。
まずはあっちゃんのlittle starが更新されていますね。
ここで話題になっているほめること。みなさんはどうでしょうか。
ほめることが多いですか?
ほめられることが多いですか?
僕自身はアマエンボウなのでとにかくほめられるのが大好き、完全にほめてのびるタイプです、だから会ったらいっぱいほめてください(笑)。
それはさておき、このテーマは雲水としてとても興味深い。なぜなら
永平寺ではその指導において一切ほめられることが無いからです。
ほめてのびるタイプには非常に過酷な世界です。
そこにはほめられるようなことは「人知れずこっそり行うべき」であるという価値観があります。ほめられることじたいがほめられたものじゃない、というなんだかよくわからないことになってしまうのです。
書いていて自分でもよくわからなくなってきましたが、兎に角「そのもの」か「属性」かにかかわらず「その人」という個人を「評価する」ということがない。勿論仲間の中ではあいつは気が利くやつだ、とかすごいやつだ、とか頻繁に話題にはなります。けれども個人の評価ということをほとんどしない、極端にいってしまうと「どうでもいいこと」なのです。
そのような中で暮らしていると個人の評価を高めようという自我がだんだんなくなってきます。個人の評価はあまり関係ないから全体がうまく機能するように自分のことはとりあえずおいといて仕事にとりくむ、という姿勢になるのです。
(がんばってもがんばらなくても同じなら怠けたらいいや、ということには不思議となりません。それが第一の価値基準ではないだけで、やはりがんばらない人は「どうでもいいけれどがんばらないやつ」となるので「自暴自棄になって極端に」がんばらない人というのがあまりでないのです。
これは完全な年功序列のタテ社会だからこそ成立する価値観かもしれません。永平寺の非能力主義については共著「お坊さんはなぜ夜お寺を抜け出すのか」でも少し触れているので興味がある人は読んでみて下さい。
なんだか「ほめる」話題で長々と書いてしまいましたが、1日〜8日の摂心はとても素晴らしいものでした。自然に近い暮らしっていうのは本当に気持ちがいい。明らかに目の輝きと肌のつやがかわります。摂心については彼岸寺の日々是好日で今週通して報告して行くのでそちらもご覧下さい。
どうぞよろしゅうー
星覚九拝
大根を干している天龍寺ののどかな光景
コメントする