さて、前回の結論は
「直感では原子力発電無しで生活するのは余裕で可能」
でしたが、これはあくまで「直感」の話です。
僕が強調しておきたいのは今すぐ原発を全てとめるべき、とか電気を全く使わない生活をするべき、とか完全な自給自足こそが生きる道、などといっているわけではないということです。
理想と現実は全然違います。
現実には不可能だ、ということでも理想を口に出して実践し、その狭間を掬いとるというのはなんだか禅問答のようです。
坐禅にもすごく似たようなところがあります。
「何も考えないで坐りなさい」
と言われてもその時点で
「考えないということを考えています」
そんな無茶なことをどう実践すればいいのでしょうか。
少し具体的に考えてみようかと思います。
実際には電気が無くなってしまうと余裕どころかなにもできません。
それほど僕たちは電気に頼りきった生活をしています。
自給自足のお寺である安泰寺にしたって少量ながら電気を使っています(停電しても結構平気でやっていけそうですが・・・)。
朝のお粥を焚くのも、iPhoneで写真を撮るのも、こうやってブログを書いているのも、全部電気を使っています。車だってガソリンで動いてますが、その製造過程で大量の電気を消費しています。
原発で働いている人の多くは自分たちの仕事がみんなの暮らしを支えているという誇りをもって働いていることと思います。その通りだと思います。
たしかに今までの生活は残念ながら
「原子力発電有りきで、ようやく余裕で生活をしていた」
といえ、僕の最初の直感と矛盾します。
誰もがうすうす感づいていています、「このままではまずい」と。
でも直感と現実的な思考の乖離に何もできずに悶々としています。
直感「このままの生活を続けるのは明らかにまずい」
思考「じゃあどうすればいいの?現実問題できるわけがない」
という状況で、思考で組み立てられた現代社会では直感を無視して思考に従ってしまいます。
そんな時に雲水の智慧を利用してできること。それは
「思考をかなぐり捨てて直感で動く」
ことです。
これは天性のもののように聞こえるのですが、実際には生活の中で訓練できることです。
永平寺に上がった時に僕が一番驚いたのは古参和尚達の行動のダイナミックさです。
機敏で躍動的で無駄な迷いがない。
僕の今までの行動を
直感→思考→様子見→判断→行動
だとすると
直感→行動
という感じで、これには驚きました。
日常の中だと「なんたる効率の悪さ!」といやになりますが非常時になると、もう全然動きが違うのです。手も足もでないとはまさにこのこと。逆に古参は本当に手も足もだします(笑)。
これは冗談ですが・・・日本代表の岡田武史監督が、世界のサッカー強豪国との「わずかな差」をうめて対等に渡りあうために禅道場に通った理由も、直感がものをいうアーティストやとっさの判断を必要とする組織のリーダーが禅を学ぶ理由も、納得がいきます。
地震後の所感をつらつらとまとめずに文章にしてしまっています。
飛躍して読みにくくて申し訳ないです。
しかし書いているうちに僕の考えも少し整理されてきました。
もうちょっと続けてみようと思います。どうぞお付き合い下さい。
つづく。
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