なんだか違和感があるこの言葉。
「エネルギー問題を真剣に考えなきゃいけない」ってよく聞くけど。
真剣に考えなきゃいけないのはその通りなんだけど、その方向性。
「一つの方法がダメなら別の方法でエネルギーを創りださなきゃ」て
なんだか自分たちがエネルギーを創りだしてるんだって響きを感じる。
「どうやって替わりを創るか」ではなく
大きなことから小さなことまで
まずは「ただ、やめてみる」方向が必要なんじゃないかな
原発大国フランスで、米粒をのこさず食べながら考えました。
やめていくベクトルで考えると、生まれて、死んでいく中で
どうしてもどうしても譲れないものがでてきくる。
それはおおいにやったらいい。
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