日本への帰国準備で2月から道場はおやすみにしていますが、道場としてのプログラムはおやすみであっても坐禅におやすみはありません。
今朝も縁あって尋ねてくれた三人が一緒に坐ってくれました。
世の中には目を背けたくなるような色んな問題があふれている、かのように錯覚する日々。
けれども、実際に「問題とみるかどうか」は法純さんが「されるべきだから」で書いてくれたように自分自身の行為を見直していき、心を澄ませていけるかにかかっていそうです。
禅寺の生活と言うのは余計なものが一切無いのでよく苦行と誤解されるんですが、その心地よさは、スカーンと晴れた白に近い青空のような感覚です。理屈は一切無く、ただ、その生活をすることで心が澄んでくるのだからとにかくシンプル、楽しいです。
これはスポーツ、ダンス、音楽、ヨガやアートにも共通することだと思うのですが、言葉を越えて伝わるものは、厳しさも持ち合わせながら、なぜか楽しく、美しい。
ちょっと想像してみて下さい。
「早起きして、掃除して、感謝をこめてご飯を食べ、夜は10時に寝る極悪人」
どんな人だと思いますか?
実は「極悪」なフリしてるだけでいいヤツかも・・・って僕なら思っちゃいます。
色んな問題に色んな解答を出すために、偉い人達が頭を悩ませてくれています。
でも、まずは人間にとって最も大切なことを、何よりも優先させて行う。
これこそが、関係ないようでいて最も確実に「問題を問題でなく」してしまう仏の道ではないでしょうか。
しかも身近で簡単、誰でもやろうと思えばすぐにできます。
あ、そうそう、「されるべきだから」というのは新鮮な日本語ですね。
ポーランドから来た法純さんならではのとても素敵な言葉だと思います。
明日から日本に一時帰国するのでしばらく日替りマスターの更新が頻繁にはできなくなりますが、週末にはなんとか時間をとって日本での状況も報告しようかと思っています。
どうぞよろしゅう
星覚九拝
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