雲水喫茶の日替りマスター!!

空、見上げるだけで(6)

週末にウンウン悩み始めてから、たくさんの人達が貴重な時間を割いて相談にのってくれ多くの貴重な意見を聞くことができました(前回記事)。
あっという間に一週間が過ぎ、再び来た週末はポーランドの人たちと坐禅をして、お話をするために電車でポズナンに向かいました。

ホストファミリーになってくれたヴィーテック夫婦の家から道場に向かう途中、送ってもらう車の中でヴィーテックさんと「お願い致します」という言葉について話題になりました。車に乗り込んだ際に一言添える日本語の「お願い致します」にしっくりくる外国の言葉が見つからなかったからです。

言葉にはそれぞれの「背景」があります。その瞬間瞬間生まれるナマモノで、尊敬や親しみといった肯定的な感情を表す場合でさえも時に誤解を生んでしまうことがあります。

僕が小さい頃ポーランドに住んでいたとき、街で会う人々の冷たさに絶望的になりました。日本では溢れる笑顔で接してもらっていたのに、お店に入ったらブスッ・・・レストランでもブスッ・・・まるで帰れといわんばかりの苦虫噛んだ仏頂面です。

しかし日本に帰国する間際になって現地の人達の愛情に溢れた内面に触れることが出来たとき、これが100年以上の亡国の時代を経てきた彼らの流儀だったと気づき後悔しました。途端にこの国が大好きになり帰りたくなくなったものです。

ポーランドの人たちは初対面の相手の名前を呼ぶ時にファミリーネームの前にPan(女性の場合はPani)をつけます。これは英語のMr.Mrsにあたりヴィーテックさんによると元々貴族が相手を「権力のあるもの」として認める呼び方だったようです。しかし最近はアメリカ風にいきなりファーストネームで呼び合う人が増えており、ウォッカの杯を一緒に飲んでからようやく初めてファーストネームで呼び合っていたポーランド人の急激な変化を心配していました。「親しみや尊敬はあえて簡単に表に出さないようにするんだ」と言う彼の言動に
「日本とすごく似ている!」
「日本と随分違うな!」
と同時に想いました。





日常で相似と差異を同時に感じることはよくあります。
その時にできるだけ相似の方、「共有できるもの」に注目するようにしています。
何故なのかはよくわかりませんがそうすると夜空を見上げるような優しく温かい気持ちになるのです。



想念の根底を流れる水脈を共有する。まず、共有する。共有して、身体で確認する。




勿論声を挙げる勇気も必要です。




音楽家の坂本龍一さんは

「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」

と表現したドイツの哲学者テオドール・W・アドルノを引用し

「フクシマのあとに声を発しないことは野蛮である」

と声明をだしています。

彼の言葉に深く共感します。天職での表現は勿論、おそらくここで挙げたようなアイディアも全て考慮された上で一人の人間として、誤解を恐れずに想いを言葉にする勇気。それを続ける姿を心から尊敬します。

必死にデモに足を運び、声を限りに再稼働反対を叫ぶ人がいたら、力になりたい。

同時に、
デモにはいかず自分の仕事に打ち込む人がいたら、
とにかく家で家族を守りたいという人がいたら、
経済が回らないとしょうがない、今さら変われない、と悩んでいる人がいたら、
その人達の力になりたいです。
この期に及んで原発を推進する、という人が例えいたとしても、何か想像もつかないような理由でやむにやまれずそう表現しているのかもしれません。少しでも温かい気持ちになれるように力になりたいです。



今、意見が違う人達と相互に「身体感覚」を共有できる機会はあまりありません。



結論の違いはあって当然です。
それを越えて尚、和するものを探していくこと。
違いが生まれるプロセスに丁寧に耳を傾けること。



自分にできることがあるとすれば、そういうことなのかもしれません。



何もしなくとも、色々な考えを持つ人達と、只、場を、共にする。

どうしたらいいのか、誰も本当はよくわからない状況でも、そこに一筋の光明があるのではないでしょうか。



29日には、やはり国会前に足を運んでみたいと思います。



今回は書くのに二時間かかってしまいました。次回で「ウンウン悩む」から始まった一連の「デモについて」の記事を一旦終わりにします。

稚拙な長文を最後まで読んで下さっている皆様、様々な意見を寄せて下さっている皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。
いつもありがとうございます。

祈諸縁吉祥福壽無量



つづく

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2012/07/17  by

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