「柔道を習っていたことがある」
今朝道場に来たドイツ人とスペイン人の男性が口を揃えていいました。それも大人になってからでなく、小さな頃学校で習っていた、と。彼らに限らずJUDO、KENDO、日本の武道は欧州でもとてもポピュラーです。
作務衣でベルリンの街を歩いていると
「KARATE ! 」
「JUDO ! 」
と声をかけられます。金曜の夜に立ち寄ったお店のトルコ人も小さな頃KARATEを習っていたと言っていました。
極東の小国のマーシャルアーツ(武道)がこれほどまでに世界に普及している、その「強さ」は一体何なのでしょうか?
ENの力
に鍵があると僕は思います。
ENといっても「日本円」の強さではありません(渡欧の際はありがたいのですが・・・)。「縁(えにし)」の、「円か(まどか)」のENの強さです。
学生の頃、僕はデート中に10人以上のいわゆるチンピラに囲まれるという大変苦い思い出があり、近所にあったキックボクシングのジムに通い始めました。メキメキと腕をあげプロライセンスも取得し「ま、そんじょそこらのチンピラには負けないぞ」と調子に乗っていた頃に身長が2メートルは下らない、腕が僕の胴回りくらいある見上げるような黒人の男性に出会いました。
彼と闘って勝てるだろうか?
「絶対無理です、ハイ」
即答でした。
「でも、それじゃあ困るよ」
現実的な問題としてこちとらトビッキリ真剣です。
目の前に自分よりはるかに力の強そうな相手がいる。
武器を持っているかもしれない。
仲間がいるかもしれない。
家までやってきて恫喝されるかもしれない。
「どうする?そんな相手に勝つ方法ある?大切な人を守るには?」
力や技術で勝敗を競うことは、非常に限定されたルールの上でしか成立しません。例えどんなに腐心して相手に勝とうと努めても、相手も同じようにするのです。キリがありません。
「あれ?でも、不安で怖いのは自分だけ?もしかしたらこれってみんな同じ?」
「あれ?でも、不安で怖いのは自分だけ?もしかしたらこれってみんな同じ?」
必ず勝者と敗者が生まれるゲーム盤での終わりの無い闘いに違和感を覚えた僕は日本の武道に心魅かれました。
合気道の創始者である植芝盛平さんは、合気道最強の技は
「自分を殺しにきた相手と仲良くなること」
と言ったそうです。
縁と円かになれば、勝ち負けを競うどころか争う必要さえ無い。
「あるいは君、この道を追求すれば、きっとよさそうじゃあないのかい」
僕はそう思うようになりました。
そして今でもそう思っています。
「尊敬」「感謝」「共生」
この国への好意的な印象と憧れ。
世界中が日本の人々に大変期待を持っていると感じます。
最強の武道はどこへ向かうのか?
さらに精進して参りたいと思います。
ちなみに、チンピラにからまれた学生は「日本円」の力で助かりましたとさ!
というのはあまりに出来すぎたオチでしょうか。
好い一週間を・・・
ちなみに、チンピラにからまれた学生は「日本円」の力で助かりましたとさ!
というのはあまりに出来すぎたオチでしょうか。
好い一週間を・・・
星覚九拝
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