雲水喫茶の日替りマスター!!

コンピュータへの恐怖と2013年の抱負

来年は今までの人生で最も大きな難題のひとつである、コンピュータの操作に取り組みたいと思います。現代の都市生活での修行が山奥のお寺のそれと違って一番厳しいのは、毎日コンピュータ(ノートパソコンやスマートフォンなどの液晶デバイス)に向かうことです。

1、脊椎を停止させた状態を長い間保つ
2、強い光が直接網膜に飛び込む
3、結果、身体と息がバラバラになる

>1について
指や目の回り以外を停止させて長い間姿勢を維持することは、逆立ちや坐禅以上に身体に無理が生じます。脊椎を締め付けて固定するのではなく、こまかな動きを続けながら画面に集中する状態を保つことが非常に難しいです。
>2について
紙に筆やペンで扱う情報と、強い光を放つ液晶の情報は全く質が違うように感じます。「能動的に読む」動作を省いてしまいがちです。身体のバランスがとれなくなり、思考だけが暴走します。
この質の違いは赤ちゃんがコンピュータ、又は絵本で遊んでいる時の身体の様子を見比べてみると明らかです。どちらかが正しいというわけではないのですが、この質の違いにいつも意識的でありたいなと思います。
>3について
こまかくバランスをとっているときは自然に調い、ゆるやかに入ってくるはずの息。その調和が乱れてとっても浅い呼吸の状態が続きます。

ここで問題になってくるのが、今までの癖と習慣です。私がコンピュータの操作が難しいと感じてきたのはごく最近のことです。今まで1、2、3の状態を全て無視して、得られる結果だけを享受することにあまりに慣れすぎてしまいました。
液晶に表示される文字の見た目は全く変わらないのでついつい無視してしまうのです(本当は「伝わり方」が随分違ってくるのですが)。あまりにも無頓着でした。鋭い刃物は役に立つことが多い反面、間違った使い方をすると手に負えなくなります。これは身体の他の部分で例えるとわかりやすいのですが、例えば椅子に座って膝下だけで、他は一切動かさない運動を長時間毎日続けたらどうなるでしょう。身体は壊れてしまいます。

言葉をタイピングで紡ぐとき、普通なら敏感に感じとっているはずの指先の感覚や手のひらの緊張はほとんど無視してしまいます。身体感覚がほぼ消えた状態で感情を文字にのせるのはほとんど苦行です。

毎日のことで慣れてしまうし、身息心がバラバラなので感覚として捉えづらいけど、これを無視していると歳をとればとるほど顕著に身体に影響がでてくるのではないかと思います。老身になってから、身体の調子が・・・と嘆いても遅いのです。武道の稽古以上に身体に意識を向けて、真剣にコンピュータに向かいましょう。それ自体は悪いことではありません。実際に私のまわりには軽やかにコンピュータを使いこなしている人がたくさんいます。極度に身心に負担を強いる運動であることを認識するだけで、「ジワジワと来る大怪我」の危険は随分減るはずです。

私の場合はコンピュータやテレビの画面に向かい始めた時期が非常に大きなストレスを抱えていた時でした。今でもその時の身体の扱い方でコンピュータを操作してしまいます。
解決策としては赤ちゃんの状態にかえって、液晶をただの光の粒が並ぶ「板」として認識するところからやりなおすことでしょうか。
まずは自分の肚とつながった言葉を、ただ、キーボードを叩いて入力する。そんな基礎の稽古が必要なのかもしれません。
コンピュータを通じて肚とつなげた言葉を発し、相手の反応を五感で感じる(伝えるときの効率のよさに比べ、この知覚に本当に時間がかかります)。

常に深い呼吸をしながら道具として正しくパソコンの操作に取り組むことは不可能ではないはずです(前述の通り実際それができている人は世の中にいくらでもいます)。

今や生活に欠かせないアイテムになって、長い間向き合わざるを得ないパソコン、キーボード。未だ道筋は全く見えませんが、緊張を身体に強要しない状態で、これを自然に自在に操作することは私の大きな課題です。2013年はパソコンに向かって作業をしながら静かに自然な呼吸が続けられるようになりたいです。

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2012/12/28  by

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