雲水喫茶の日替りマスター!!

深夜のダンス

昨日、近所のファーマーズマーケットでトルコ出身の男性と偶然知り合いました。なんと彼は東京に住んでいるアーティストでフジロックに毎年行っているとのこと。

僕も10年程前にはよくフジロックに足を運んでいたのでなんだか意気投合し、一緒に家に帰ってお茶を飲みました。

彼には仲のいいDJの友人がいて「今夜イベントがあるから是非紹介したい」となんとも有り難い申し出を頂きました。日本とSAKEこよなく愛するその友人は東北の被災地支援もしており、道場の近くにスタジオがあるのだというではありませんか。

すごくっいきたいんだけど集合時間なんと夜中の26時!

深夜1時半に踊りにいくことを机の端に積まれた無地の年賀状が許してくれませんでした。

いつでもどこでも、出会うべく人と磁石のように引かれ合って出会っていく。本当に一期一会とは面白いものですね。

2012年もこの星に想いを寄せるたくさんの人達との不思議な出会いがありました。お互いを認めあい、相手の中に自分を見つけて平和な世界を生きていく新しい時代。そんな確かな息吹を感じる日々でした。

今年も今週で来年になります。夜の坐禅の後に読んでいる正法眼蔵随聞記。昨晩読んだ箇所を引用して今年最後の日々是好日とさせて頂きます。一年間読んで下さったみなさま、改めまして、ありがとうございました。好いお年を迎えられますように・・・

祈諸縁吉祥福壽無量

星覚九拝

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Saturday's Zuimonki 2-12

夜話に云く、今この国の人は、多分あるいは行儀につけ、あるいは言語につけ、善悪是非、世人の見聞識知を思うて、その事をなさば人あしく思ひてん、その事は人よしと思ひてん、乃至向後までもと執するなり。是れまた全く非なり。世間の人、必ずしも善とする事あたはず。
(中略)
さればとてまた、人のあししと思ひ云はん、苦しからずとて、放逸にして悪事を行じて人をはぢずあるは、是また非なり。

In an evening talk, Dogen said,

With regard to actions and speech in society, today in this country many people are concerned with personal fame and reputation. They think good-bad, right-wrong, and consider that if they do one thing others will think well of them or if they do something else others will think poorly of them. They even worry about the future. This is entirely wrong. People in the secular world are not necessarily good.
(...)
On the other hand, it is wrong to shamelessly indulge yourself and do evil things, trying to excuse yourself on the grounds that it does not matter if others think ill of you.

夜話に言われた。
現今、わが国の修行者は多く、あるいは動作につけ、あるいは言葉につけて、善悪是非を考え、世間の人が見聞きしてどう思うかを考え、こんなことをしたら人が悪く思うだろう、こういうことは立派だと思うだろう、ひいてはあとあとのこともあるということまで勘定に入れて考えている。これはまた全く間違っている。世間の人は、善いことでも必ずしも善しとすることはできないものである。
(中略)
そうかといってまた、人が悪いと言おうが思おうが、平気だといって、勝手気ままに悪事を行って人の批判を気にかけないのは、これまた間違いである。


Reference books; 
水野弥穂子訳『正法眼蔵随聞記』(ちくま学芸文庫)
Translated by Shohaku Okumura, "Shobogenzo-zuimonki"(SOTOSHU SHUMUCHO)

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2012/12/30  by

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