昨日、友人宅の夕食会で日本のとある地方から避難してきたという夫妻に出会いました。昨年来たばかりで知人の家を点々とし、3月に短期滞在する場所を探しているとのこと。ちょうど日本にいる期間だったので、どうぞどうぞと家の鍵を預けました。
突然のことにとても驚き喜んでくれましたが、嬉しいのはこちらの方です。
使わないときは縁のある人に大事に使ってもらった方が家も喜ぶというもの。
禅寺ではモノを持つことを「護持する」と言い、所有ではなく護って(守って)持つ役目をまかされます。
大切に管理できない場合は護持する資格はありません。責任を果たさずに、護持ばかりしようとする雲水は「護持ラ(ゴジラ)」と呼ばれからかわれたものです。
今週は賢裕さんが
「頂きものはお供えし、仏さまからおさがりを賜る」
というとても素敵な習慣を紹介していましたね。
「自分のもの」という所有への欲がなくなるのは非常に清々しいものですが、モノへの執着を手放すのはなかなか難しく、それこそ稽古が必要です。
そんな翌朝、その執着を手放すトレーニングの機会が早くも訪れました。
駅の近くを歩いていて僕は目を疑いました。
この凍る寒空の下、美しい女の人が泣いているのです。
しかもTシャツにジーンズという信じられない姿で!
しかもTシャツにジーンズという信じられない姿で!
通りすがりと思しき若い女性が、側でなぐさめています。
キタコレ!
私はサッソウと着ていたコートを脱ぎ、彼女にかけました。
「ありがとう」
と彼女はポソリといったものの、なんだか様子が変です(Tシャツの時点で明らかに変ですが)。
ロックな装いとアイシャドウは汗と涙で湿り、お酒の香りが漂います。今宵フィナーレを迎えたベルリン国際映画祭の宴でハシャギすぎ、朝を迎える街に迷い込んで我に返ったといったところでしょうか。
ウロウロキョロキョロする彼女は地下鉄の階段を下っていきます。その親切な女性と問答をする様子を少し離れて伺っていましたが、しばらくしてもおさまりません。
なんと、彼女はそのままホームに来た地下鉄に乗り込み(飛び込まなくてよかった)
車内の座席に坐り込んでしまいました。
・・・
「ありがとうございます!あのお名前だけでも・・・」
「フフッ名乗る程のものではありませんよ・・・」
・・・
などという僕の甘い想定の遥か彼方をいく展開に大わらわ。
なにしろ彼女は僕のコートを着ているのです。そうはいっても「返して!」などと下手に刺激して突飛な行動を起こされてはたまりません。
親切な女性が駅員さんに事情を説明してくれ電車は停まっていましたが、発車した瞬間に無賃乗車です(ドイツの地下鉄は改札がない)。かといってロック娘にコートをプレゼントできるほど外は暖かくありません。
これは執着なのだろうか・・・手放せ手放せ・・・
などと想いながらコートの裾にチョンチョン触れて精一杯のアッピールするも彼女はさらに深々とコートの襟を交差させて引きこもりモード。なかなか発車しない地下鉄にしびれをきらしたまわりの人達からの冷たい視線が突き刺さります。
結局数分後に応援に駆けつけたレスキュー隊と警察が説得に成功。彼女(と僕のコート)は地上に停めてあった救急車両の中に運び込まれてしまいました。
「あの・・・それ僕のコートなんですけど」
ドイツ版「め組の大吾」のようなカッコいいお兄さんに訴えると、はちきれんばかりの笑顔で
ドイツ版「め組の大吾」のようなカッコいいお兄さんに訴えると、はちきれんばかりの笑顔で
「なんだ!そうだったのか、ハッハッハ好い一日を!」
バタム。
お兄さんは車の中からコートを僕に返してくれ
彼女と救急車はそのまま行ってしまいました。
この湧き上ってくる喪失感、一体なんなのでしょうか。
次からはコートに
「 0176 7396 9339 伊達直人 」
と書いたメモでも入れておくか・・・
そんなことを考えながら、元来た道をとぼとぼ歩いて帰りました。
「 0176 7396 9339 伊達直人 」
と書いたメモでも入れておくか・・・
そんなことを考えながら、元来た道をとぼとぼ歩いて帰りました。
手放さないといけなかったのはコートへの執着ではなく
執着といえば…
先日とある温泉宿に行った時のお話です。
そこは明治から続く老舗の温泉宿なのですが気さくな女将さん曰く「こういう古い温泉宿ってよくでるっていう話なんだけど、うちでは最近あまりでないのよね~、昔はちらほら見かけたって話は聞いたんだけどね~。おじいさんや着物を着た子供とかね~。」
幽霊さんのことですね。
幽霊さんもそこの場所に何らかの執着があるがゆえに留まっていられるのかもしれませんが・・・
古い温泉宿に留まる幽霊さんの想いをきれいな源泉のお湯が流してくれることを願うばかりです。
幽霊さん、私は見たことがありませんが、古い温泉宿に現れる幽霊とは風流な感じがしますね。そういう場所が日本にたくさんあるのは貴重なことかもしれません。