ポーランドのポズナンで行われた摂心に行ってきました。
摂心とは、お釈迦さんが菩提樹の下で7日間坐禅をした後
明けの明星を見て悟りを開いたことにちなんで行われる行事です。
7日間連続で毎日朝から晩まで坐禅をするため慣れていないと痛みとの闘いになります。永平寺では12月と2月に行われますが、初参加の7日目はあまりの痛さに涙がでました。
「摂」という漢字には
「あわせてとりこむ。ことをあわせ行う」
という意味があるそうです。
「ただただ、黙って坐る」を実践することで
まさに身体と心がひとつになっていくような不思議な感覚が味わえます。
福井県の天龍寺や兵庫県の安泰寺のように毎月摂心を行う禅寺も少なくありませんが
娑婆では7日間連続して時間をとることは困難なため、週末を利用して
金土日と3日間の摂心をするところもあります。
今回摂心が行われたのは円覚院というお寺です。
といってもアパートの一室を改装して道場にしています。
といってもアパートの一室を改装して道場にしています。
昨年の夏にも天心さんと一緒にインスタレーション「日常茶飯事」と
禅の作法のワークショップを開催したお寺です(その時の記事)。
みんなとても温かい人達だったので、再び訪問できることになって踊りだすくらい嬉しかったです。
坐禅をして応量器展鉢で食事をとり、提唱の時間は法純さんと選んだ正法眼蔵随聞記の中から三つの章をみんなで読んで、それぞれの諸感をシェアしました。
これは禅の旅で訪れている笹川老師が天龍寺の毎週土曜日の参禅会でやっているやり方です。
ベルリンの雲堂でも毎週末に同じように外国の人達と正法眼蔵を英語で読んでいたので違和感なく行うことができました。しかも円覚院では日本語で話せば法純さんが即座にポーランド語に翻訳してくれるので大変心強いです。
「読むのに一週間ぐらいかかった!」
といっていましたが、日本人の私でも読み終わるのに時間がかかる程に分厚い本です。本当にたいした人です。将来きっと日本とポーランドの平和の架け橋となって活躍してくれることでしょう。
ポズナン駅に到着したのは金曜日の夕方でした。
普通はここからタクシーにでものって向かうのでしょうが、
法純さんはそんな野暮なことはしません。
「荷物重くない?」
と私の荷物を気遣ってくれましたが、20分程歩いて会場まで行きました。
それがとても嬉しかったです。
ポズナンは小さな街で、歩いて大抵の場所は数十分あるけば行けてしまいます。
このサイズ感はとても大切な気がします。
夜は円覚院から歩いて15分くらいのところにあるパヴェルのアパートに泊まらせてもらいました。パヴェルはお母さんの手作りのクッキーを出してくれました。
円覚院では欧州では人気の高いチベット仏教のグループも一緒に修行しています。
金曜日の夜は仕事が終わった人達が続々と集まってきました。
みんなで応量器を作り、摂心全体と応量器展鉢についての簡単な説明をしました。
夜は陽気なアンジェイが家まで送ってくれました。
彼は2008年にポーランドの田舎町で開催された村上光照老師の摂心の時に一緒だったミュージシャンです。
その時私は髪をのばしていました。
「黒く長い髪をしていたからよく覚えているよ」
といわれ少し恥ずかしかったです。
和やかな雰囲気で摂心は始まりました。
摂心のレポートをするのはとっても難しいです。
本当になにもしないでただ坐っているだけだからです。
今回はまだベルリンから2〜3時間の近場でしたが
例えば2008年の時は日本から飛行機で10時間以上かけてワルシャワに行き、
そこから電車と車でポーランドの山奥にきて、
それでやっていることといえば、只部屋の中で坐ってご飯を食べてるだけでした。
普通ならちょっと考えられませんよね。
(下はその時の写真)
でもそれが何にも代え難いと感じてくれる人達がいる。欧州の人たちが坐禅してくれるだけで嬉しいのにこうやって摂心をみんなで企画してしまう。とても有り難く尊いことだなと感じました。ベルリンでも開催したいものです。
2日目は朝早く起きて円覚院へ向かいました。
とても寒かったです。
応量器飯台をみんなが最後までやってくれるか心配しましたが
正法眼蔵随聞記も法純さんが英語からポーランド語に訳したテキストを用意してくれ、みんなでいい話ができました。
今回の摂心では食事はポーランド風。
沢庵のかわりにピクルスを。ポーランド風のスープとサラダも頂きました。
薬石はお皿にスプーンで食べました。
夜はまた送ってもらいました。
車の中はすし詰めです。
「トヨタじゃないけど勘弁してくれたまえ」
とアンジェイがおどけて見せます。
今にも壊れそうな薄っぺらいドア。
道路はところどころ穴があいていてガタガタです。
曇りと埃で前がほとんど見えないフロントガラス。
外の景色は灰色でオレンジの外灯がポツポツ。
暗い東欧の夜。
だけれどもポーランド語が飛び交う車内の雰囲気は頼もしく
信号で止まるたびにワイワイとはしゃぎながら
どんな高級車にのるよりも贅沢で楽しい時間。
黒澤明監督の映画「夢」に出てきた
台詞を思い出しました。
「暗いから、夜だ」
3日目の朝は雪がふっていました。
トラムで行こうとしましたが、いつまでたってもこなかったので歩いていきました。
円覚院での坐禅も身体に馴染んできたようです。
最後の提唱の時間に聞いてみました。
「なんでポーランドの人達はこんなにやさしく謙虚なのですか?」
みんな口々に
「そんなことはない」
といいます。
そんなことはあるのです。
小さな頃からこの国の人々の静かで力強い優しさに触れてきました。
でも、たしかにみんなのいう通り、日本人にもいろんな人がいます。
問題は何をみるのかで日本、ポーランド、日本人、ポーランド人というくくりは
あってないようなものと捉えるのがよいのかもしません。
ベルリンに戻るとき、別れるのがとてもつらかったです。
みんなが家族のように思えてきました。
今回の摂心で一番感動したのはお経がポーランド語だったことです。
般若心経、大悲心陀羅尼、消災妙吉祥陀羅尼、延命十句観音経、舎利礼文、開経偈、三帰依文など。Szczecinにある三宝院の住職である観禅老師の翻訳です。ただでさえ長く難しいお経をポーランド語に翻訳するのはすごいことです。
しかしそもそも日本のお経も、かつて中国から伝わり
その中国のお経も、インドから伝わったはずです。
道元さんは空手還郷といって、お経も仏像もなにも持たずに中国から日本に帰ったそうです。
時間空間を越えて奇跡的に伝えられた「なにか」
その「なにか」って。すごく興味が湧いてきませんか?
中国の禅寺で修行をさせて頂いた時、正直なところ日本のお寺ってすごいなぁと思いました。
それは日本のお寺(その建築、人、規則などを含んだ全体)が人間だけでない
環境全体を考えて設計されていて、その独特の思慮深さが言葉や個を超えた
身で伝わっていると感じたからです。
私は日本仏教の強さ、魅力は、伽藍それ自体や、檀家があること、葬式をやることだとも思います。欧州のお寺にもコミュニティの作り方などそれなりのいいところがありますが、檀家や葬儀法要はありません。とても魅力的な日本仏教の特徴です。
勿論中国のお寺(千差万別で一概にはいえませんが)にもたくさんいいところがあります。
特に台湾に近い南方のお寺は独特のリラックスした空気感があり、色彩が豊かで日本のお寺にはない魅力がたくさんありました。
ポーランドならポーランド、中国なら中国、日本なら日本、ドイツならドイツ、(そこに国家の名前を使うこともあまり意味がなくなってきた時代だと感じていますが)それぞれの土地にそれぞれのいい文化があり、それぞれの禅が花開いています。
日本から「なにか」が伝わり、それに魅力を感じる人達がたくさんいる。
そういった人達が日本を訪れ、言葉や文化に触れ、その土地の一員として修行に挑む気概ができるような環境を、私は磨いていきたいです。その種を別の土地に持ち帰ってもらえば、世界全体で「なにか」を共有した「世界の春」がくるでしょう。
いつも謙虚に、相手から学び続ける。
お互いにこの姿勢を自然にとれるようになれば、
多様性を残したまま独自の文化が発展する楽しい世界に
きっとなるでしょう。
私はそんな世界を想像するのが好きです。
さらに精進したいと思います。
おまけ(ベルリンでも!)
星兄
いつもやさしい言葉を頂き、感謝してます。
毎回、星兄のブログを読むと、「菩薩だなぁ」と。
星覚さんがやっていることは非常に大切です。いつも心から応援してます。
あまりにもったいないお言葉ですが、褒めて伸びるタイプなので調子にのってさらに精進します。多謝!