週末の正法眼蔵随聞記、今週は百尺の竿の上から飛び降りる話でした。
実際にのぼってきた竿が高ければ高いほど、そこから飛び降りるのは怖いものです。
しかし、そこで敢えて手を離すことに挑んできたサンガ(お坊さんの共同体)が何百年も続いているのなぜなのでしょうか。
株式会社が平均5年で消えていくという現代社会。「絶対無理!」と最初から明らめず、その真意を学んでみるのもおもしろいかもしれません。
先週松本紹圭師、井出悦郎氏が出版した「お寺の教科書」にはそんなことも書かれているのでしょうか、興味津々です。
好い一週間になりますように!
祈諸縁吉祥福壽無量
星覚九拝
実際にのぼってきた竿が高ければ高いほど、そこから飛び降りるのは怖いものです。
しかし、そこで敢えて手を離すことに挑んできたサンガ(お坊さんの共同体)が何百年も続いているのなぜなのでしょうか。
株式会社が平均5年で消えていくという現代社会。「絶対無理!」と最初から明らめず、その真意を学んでみるのもおもしろいかもしれません。
先週松本紹圭師、井出悦郎氏が出版した「お寺の教科書」にはそんなことも書かれているのでしょうか、興味津々です。
好い一週間になりますように!
祈諸縁吉祥福壽無量
星覚九拝
Saturday's Zuimonki 3-1
示に曰く、学道の人、身心を放下して一向に仏法に入るべし。
古人云く「百尺竿頭上なほ一歩を進む。」と。
何にも百尺の竿頭に上がつて足を放たば死ぬべしと思うて、つよくとりつく心の有るなり。其れを思い切りて一歩を進むと云ふは、よもあしからじと思ひきりて、放下するやうに、度世の業より始めて、一身の活計に至るまで、何にも捨て得ぬなり。其れを捨てざらんほどは、何に頭燃をはらひて学道するやうなりとも、道を得る事叶わざるなり。思ひきり、身心倶に放下すべし。
Dogen instructed,
Students of the Way, let go of (1) body and mind and enter completely into the buddha-dharma. An ancient said," At the top of a hundred foot pole, how do you advance one step further?" (2) In such a situation, we think that we would die if we were to let go of the pole and so we cling firmly to it.
Saying "advance one step further" means the same as having resolved that death would not be bad and therefore one lets go of bodily life. We should give up worrying about everything from the art of living to our livelihood.
Unless we give up worrying about such things it will be impossible to attain the Way even if we seem to be practicing earnestly as though trying to extinguish a fire enveloping our heads. Just let go of body and mind in a decisive manner.
(1) Hoge in Japanese means to let go, throw away, give up, abandon, lay down, etc. Someone asked Joshu, "I have nothing. How is that?"
(2) Joshu replied, "Throw it away (hoge-jaku)."
See 1-13, footnote 4.
「仏道を学ぶ人は、身も心もなげすてて、ひたむきに仏法の中に入りなさい。
古人は、「百尺の竿頭にあってさらに一歩を進める。」と言っている。人間というものは、いかにも百尺の竿のさきにのぼると、ここで足をふみはずしたら死んでしまうと思って、いっそう強くしがみつく気持ちがあるものである。
そこをかえって、「思い切って一歩を進める」と言っているのは、「教えにしたがうのであるから、まさか悪いことにはなるまい」と思い切って、すべてを投げ出すように、世渡りの仕事をはじめとして、自分の生活の手段に至るまでも、捨ててしまえばよいのであるが、それがどうしても捨てられないのである。
しかし、その最後のところを捨てないうちは、どんなに、髪の毛についた火をはらうような気持で仏道を学んでいるようであっても、道を得ることはできないのである。思い切って、身も心もともに捨て去るべきである。
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