週末にマーセルと久しぶりに再会しました。スイスとの国境に近い南ドイツ出身のマーセルは、やさしい目をした朴訥な男です。お店の棚に並べてある壷を手にとった途端に割れ落ちて途方に暮れている彼を目撃したのはまだ2月のことでした。困った顔で店員さんとなにやら話していたので、両手で丁寧に壷を持ち上げていたこと、壷は最初から壊れているように見えたことをシャシャリ出ていって弁明したのが出会いのきっかけでした。
散歩。
「学校を卒業した後、兵役を望まずアルゼンチンで社会福祉活動をすることにしたんだ」
しばしの沈黙の後ふと立ち止まり、また思い出したかのように言葉を交わす。
「アルゼンチンに二年間滞在した後、アフリカや中東の国々を旅したよ」
また、散歩。
ぽつりぽつりとたぐりよせていくうちに、彼のドーターの話になりました。
「独身の君に娘が?」
正確には「ゴッドドーター」、「ゴッド」が拾えなかっただけで最近生まれた彼の姪のことでした。この「ゴッド〜」という関係。キリスト教において洗礼に立ち会い「霊魂上の家族関係」となった者たちをそう呼ぶそうです。あの有名な映画「ゴッドファーザー」もそういうことなのです。ゴッドドーターからすれば彼はゴッドファーザーです。
「子供が無事成人するか今よりもっとわからなかった時代、家族に何かあった時のためにこの仕組みができたのではないか」
マーセルはいいました。彼の親族は代々キリスト教を信仰していて、今でもその慣習を続けているそうです。
マフィアのボスだけがゴッドファーザーではない。
この発見は僕にとって目からウロコでした。世界中の人が「ゴッドファミリー」として、いつかどこかでつながっている。それを確かに信じきることができたら、人を殺してしまうほどの衝動も和らげることができるかもしれないね。
今週は世界一周の途中にベルリンを訪れたという元学校教師の「フジモン」にも出会いました。世界を巡り、感じたことを本気で実践しようとしている彼もまた、やさしい目をしています。
世の中そんなにあまくない、という人もいるかもしれません。
たしかにマーセルもフジモンも言っていたように、物質的にも精神的にも恵まれた平和な地域と時代に育ったものだけが持てる、きれいごとかもしれません。
でも、だからこそ今、きれいごとを言える者達が、とことんきれいごとを実践するのもおもしろいじゃありませんか。
美しい緑は確実に育っています。今週も好い一週間となりますように・・・
星覚九拝
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