雲水喫茶の日替りマスター!!

拝啓 弟子丸泰仙老師様

ポーランド、フランスでの出来事をメモした手帳をもとに、飛行機の中で綴った手紙を備忘に記録しておきます。

祈諸縁吉祥
星覚九拝
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拝啓 弟子丸泰仙老師様

老師の道場、禅道尼苑にて三日間参禅させていただきました、星覚と申します。

フランスの田舎町を軽快なスピードで走る電車から、パリ市内の比較的大きな駅で地下鉄に乗り継ぎ、さらに空港行きの電車を経て、ようやくベルリン行きの飛行機が離陸したところです。

今週は月曜日からワルシャワ、木曜日にはフランクフルト、金曜日からパリと移動が続き、さすがにヘトヘトです。
ワルシャワでは夜行バスターミナルに向かう途中、路線バスを乗り間違え真っ暗なバス停に孤立。電話もなく万事休すにもかかわらず、奇跡的に通りかかった来週日本旅行にいくんだと楽しそうに語る青年のタクシーに拾われ、すごいスピードでギリギリ出発時刻に間に合いました。パリのCDG空港では駅のホームが閉鎖され、迂回して乗った電車もとまり焦り走り右往左往。移動するときもそうでないときも、常に余裕を持った行動、たとえ乗り遅れてもバタバタしない肝の坐った行動を心がけなければいけません(私もいい歳なのでそろそろ滑り込みスケジュールを手放す時期と感じています)。

とはいってもこのヘトヘトは気持ちのいい疲労感です、明日からの気力を宿した疲労感はやはり遠方の朋との再会による嬉しさでしょう。

禅道尼苑を訪れる前はワルシャワにて参禅会に参加しておりました。その時に現在欧州総監部の佐々木老師や、法純さん、2007年にお会いしてから変わらず坐禅を続けているポーランドの友人達の姿をみて、今後の自分の進むべき道を考えていたところです。禅道尼苑に来れたのは本当にありがたいお導き、改めて感謝するばかりです。

禅道尼苑にポーランド出身の法純禅兄、ベルリンの道場に来てくれた曹洞宗欧州総監部の泰文禅兄はいることがわかっていましたが、同じ米子市出身で遠い親戚でもある靖史禅兄とこの場で会えるとは思いませんでした。彼の父親は私が出家した時に作法を丁寧に教えてくれた人です。本当に不思議なご縁を感じざるをえません。

またドイツ人の僧侶であるドウカンさんは、7月10日の夕方、友人の母親からの突然の電話により駆けつけた集中治療室がある病院に勤務している医師でした。7月11日早朝、その友人は眼前で息を引き取りました。日本人の両親のもとドイツで生まれ育った彼女は、禅寺に行きたがっていたようです。

Wenn man der Natur etwas nimmt, muss man ihr etwas zurück geben.
何かを自然から取れば、何かを自然に返さなければならない

まだ40代の彼女の遺した言葉です。後日本葬の後、家路についた途端、後ろから声をかけてきた男性がいました。曰く7月11日は聖ベネディクト師の記念日であったと。もちろんただの偶然でもあり、このことはご遺族には話していませんが、このことを教えてくれた彼に感謝しています。

6年前2012年に雑誌の取材で絵里さんと偶然出会ってから、しばらくは彼女のお祖父様が有名な禅僧で会ったことを知りませんでした。ある日ひょんなことから「私のおじいちゃんは禅僧なんです」「なんというお名前ですか」「もしかしたら知らないかもしれませんが、弟子丸泰仙という人です」「本当ですか、知らないはずがありません」と、驚愕しました。あれから絵里さんの旦那様、お母様もベルリンに来てくださり泰仙老師のことも聞くことができました。

お母様の話で印象的だったのは、家では優しい父親であったが、それ以外の時は近寄りがたい怖さがあった、とおっしゃっていたことです。どちらが本当の泰仙老師かといえば、どちらもそうなのでしょう。

真実を伝えることは時に近寄りがたい厳しさが伴い、畏れを抱かせてしまうこともあるでしょう。私自身は厳然とは程遠く、家族に甘えてばかりです。

ずっと参拝したいと思っていましたが、今回、和尚さんたちの研修会(「現職研修」といいます)が開かれるということで(曹洞宗の欧州総監部から今年で打ち切られるという交通費支援もあり)やっとその夢が叶いました。心より感謝します。



さて、CDGから禅道尼苑へのバスがでる仏国寺に行く途中、電車の中で忘れられない光景がありました。4歳の次男くらいの少女がコップを手にお金をと言いながら歩いて来たのです。その後からは母親らしき女性、すぐ後にはようやく歩き出したかという2歳の三男くらいの女の子が続きます。

最初はこのような小さな女の子に物乞いをさせる(本物かどうかはわかりませんが)母親に対して憤りを覚えましたが、すぐにその感情は自分への反省、一、龍の年齢だぞこの子たちは。この世界のあり方を許しているのは誰かと脚下照顧。

なんだか悲しくなりました。

ベルリンからワルシャワに向かう夜行バスの中で銃器を携えたポーランドの兵隊さんが入って来て、全員のパスポートをチェックしてまわっていたときも同じような悲しさを覚えました。人々の不安はそろそろ堪え難いものになっているのかもしれません。

国籍や思想の違いで壁をつくることはもう終わりにしてもいいでしょう。

話がそれましたが仏国寺の前の見慣れた通りに驚き。これまた6年も前に天心さんと来たところだと初めて気づきました。Zen Butiqueは忘れられませんよ。ご縁はめぐるものです。世界はつながっている、本当に。聖博さんに声をかけられ大型バスにぴっくりしました、こんなに大勢いるとは思わなかったのです。せいぜい10人のりのワゴンくらいかと思っていましたから、それはそれはおどろきでした。人数が多いだけ、集合時間に現れない人が5人もいました。

バスに乗ると最前列に法純さんと悠嶂さんの笑顔が。緊張が一気にほぐれました。道光さんや、犬を連れた人ものっています。法純さんは途中僕の隣の席に来てクッキーをくれました。ドイツ語が聞こえるとなんだか嬉しくなります。

車が動き出すとまずは悠嶂老師が挨拶。「出発遅れてすみません」との切り出しに法純さんと顔を見合わせてお互いニヤリ。日本に来た安心感、この心配り!今でも普通欧州ではこんなあやまり方はしないんですよ、法純さんは日本からワルシャワに到着して、飛行機に荷物が出てこなかった時もその対応にホトホト疲れたといいいます。よほどのことではないと「絶対にあやまらないぞ!」という態度が普通です。それがまず自分は悪くないのに(自分も困っているのに)すみません、と。これ、相手の気持ちをまず第一に想いやる心、これは実はどこの国でもあるものでしょう。何がそれをいいにくくしているのでしょうか。今後はその奥にある心が、つながっていくといいなと思うのであります。

これから禅道尼苑にいよいよいくのだ。みんな坊主のボウズバス、プラムビレッジを思い出します。どこまでも続く平野。天心さん、絵里さん、法純さん、全てがつながって導かれてここに来ることができている。

この夏に念願の永住権を奇跡的に取得できたことも、先人達のご加護のおかげとしかもはや考えられません。ただし必死にやってきた禅の生活を都市でつづけながらも生存することができるという証明は、いったん区切りをつけてもいいかな、と思っています。何も証明するような特別なことでなく、道を伝えた方々は黙々と先祖代々続けて来た普通のことですよね。これからはそれができることを家の中に、そして家の外に広めていかなければいけません、どれだけ家内から共に精進にむかえるか。

やはり親は子が愛しいものです。ワルシャワではスタレミヤスト、ノヴィシアット、子供の頃に連れて来てもらったポーランドの旧市街を廻って想いを馳せました。正純さん、ロジャーさんの子供、電車の子供、伝えることができるか。

法純さんは日本語の本を読んでいて、ほんとうに語学が好きなんだな、と。すごい才能、そしてッ努力です。むきふむき、それぞれやくわりがある、自分以外のものになろうとしてもだめと思い知らされます。

ただ子供達の柔軟性はすごいです。この言語ダメならこの言葉、それがダメならこの言葉、って一星のまわりの子供達はみな普通にやっているのに目をまるくします。けれどもこれからの世代はこれが標準になってくるのでしょう。英語を話すだけで緊張してしまう私とは隔世の感を禁じ得ません。そんな時代の教育とはどのようなものでしょう。そんな時代の国際交流とは。

到着して薬石、すぐにその日はネタ。一緒の部屋の宗房さんはオランダのZen Riverに安居、智玄さんは永平寺を乞暇して国際布教使としてミラノ普伝寺安居。24時まで話しました。面白くなってきました。

二日目のあさ、神霊がなる、5時50にはすでにシャワー、浄髪をしている人もいます。

老師のおはか、風の音、落ちるきのみ、このは、森の闇からのぞく夜空、煌めく星。

暁天、朝課、日本の回向がおわって、多くの人々がお墓のまわりを朝の散歩。そのあと朝食。みんな各々たべはじめます。ごかんのげはないんだなぁ。おわってぱんと、皿洗いサム。参加は自主的に、のシステムがフランスらしいです。日泰寺にて修行していたという宏行さんの23歳。

小川先生のお話、星空が広がっていること、30ねんぶりに実感、学生の頃、天地いっぱいのわれ、という沢木興道老師の言葉を思い出した、という、こういった影響を与えられるのであれば、言葉を紡ぐ意味もあるし、このような命がけの言葉をさけんでいくのがいい。坐禅と朝課は初めての経験はだという、乾いた地面に落ちたみずではなく、海のなかの水、と感じたことが。さすがの表現は先生です。東京ではあまり星がみえませんが、ベルリンでは夜は比較的暗く、星もきれいにみえるんですよ。

講義終わって食事、そのまま泰文さんと話しました。国際布教使と寺院建立は関係ないらしい。ただ二等教師は必要というルールなようです。そのためには安居証明と卒業証書が必要。海外の寺院はどんなものでも日本のものとは全く別の「特別寺院」で、永続を前提とするために当地での法人と賃貸でない土地や建物の契約が必要みたいです。

大阪弁、テレビとインターネットの話は新鮮で納得。回向返照が大切だと繰り返していたのはオランダの天慶コペンズ老師。中国、唐の発音、フランス語、英語、会場ともやりとりをしながらすすむ講義というより学びの場は、それそのものが感動的でした。

泰文さんとお金の問題も話しました。檀家はへるいっぽう、海外の和尚はふえている、予算はへるばかり。

如臨宝鏡形影相覩。

機内の照明が消え、街の光に顔が映っています。ああ、あっという間にテーゲル着陸態勢です。すみません、ありがとうございます!

平成三十年神在月
星覚九拝

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2018/10/25  by

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