社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#32 社交ダンスと恋愛、そしてバランス

CIMG0773.JPG
《ハウスへ続く道をかき分けて。雪を反射した陽光が眩しい。》

みなさん、こんにちは。

2人の人間が対になって踊る社交ダンスでは、
「バランス」というものがとても大切にされています。

踊る上では自分1人のバランス感覚だけでは不十分で、
相手のバランス感覚、
そして2人のバランス感覚が練り上げられなければなりません。 

さて、作家の浅野素女さんが以前、次のように書いていました。

「社交ダンスはバランスとアンバランスの繰り返し。」

(『踊りませんか』集英社新書 2004年)

これは、確か、
浅野さん自身がダンスの先生から言われた言葉のようですが、
ぼくはこの表現がとても気に入りました。

ここで言う「バランス」とは、
「安定」と言い換えると分かりやすいと思います。

踊るということは、
安定しては壊し、壊しては安定へと向かう一連のスパイラル運動であると。
なるほど。

特に、ここで大切だと思ったのが、
「バランス=善、アンバランス=悪」という構図を採用していない点。

アンバランスをエネルギーの源、動きの起点のように考えている点が
おもしろいと思いました。

ぼくはこの表現を聞いて、
ふと、恋愛のことを思い浮かべました。

「バランスとアンバランスの間の行き来」というのは、
恋愛と似ているんじゃないかと。

ぼくは、恋愛は、
相手にとって有りなのか無しなのかスレスレのところを攻めていくところに
醍醐味があると思っています。

相手に嫌われるのを恐れて当たり障りのない無難な態度をとると、
関係は平行線。深まらない。

これは、ある意味でバランスのとれた状態であると言えます。
平行線というバランス。

逆にありのままの自分を見てほしいと言って、
一気に出しすぎると確実にひかれてしまう。

これは、針が振り切れ過ぎている状態とでも言えるでしょうか。

ちょっとずつ「(相手にとって)あり?なし?」の
スレスレのラインを攻めていくことを繰り返す。

いつもハラハラしながらしかけていく。
こういうスリルがあるから、人は恋愛にひかれるんでしょう。

一度、相手にとっての自分像が固定化されそうになったと思ったら、
また次にありかなしかギリギリだと思う要素を提示していく。

そうやって、徐々に、
相手の中に固定化されつつある「自分像」を
壊したり、修正したり、ずらしたりしながら、
多面的な「自分像」を知っていってもらうんだと思っています。

こうやって人は相手に自分を知ってもらっていくんだと思います。

もし、
その切り出し方がまずかったり、
切り出したものが相手にとってのタブーであった場合、
「さよなら」と言われて、セパレートすることになってしまうかもしれません。

逆に、
「ああ、この人にはこんな面もあるんだな。こんな引き出しもあるんだな。」
という肯定的な評価を受けるかもしれません。

踊ることと恋愛すること、さらに言うと、
人と関係を築いていくことは似ているところがあると思います。

相手にとって、「え?なんだこれは?!」と思うようなことを、
関係の中に散りばめていく。

そういうことが、人間関係を育てていくんだと思っています。
サプライズが好きな人は、きっとこういう人だと思います。

ここで終わっても良いのですが、もう少し、
バランスについて考えたいと思います。

バランスという現象についての認識を書き換える必要があるというか。

そもそも、「バランス」とはいったい何でしょうか?

辞書によれば、

an even distribution of weight enabling someone or something to remain upright and steady

とあります。
何かを成り立たせるために必要になる、均等な力の配分のことのようです。
言い換えると、バランスとは何かを成り立たせる作用の一つのようです。

しかし、
辞書では、その「配分の仕方」については何も定めていません。

つまり、
均等な力の「配分の方法」については別の知識が必要になるということです。

では、
どのような知識が必要なのでしょうか?

それにはいろいろ考えられると思いますが、
ぼくはここで雲水喫茶らしく「行雲流水」の思想を参照したいと思います。

「行雲流水」という思想は、一言で言うと、
「止まらない」ということです。

禅僧の玄侑宗久さんは、
生き方の提案として、
この「行雲流水」と一定期間の「定住(止住)」が
もともと人間の中で自然なものとして同居していると説き、
時に忘れられがちな「行雲流水」の方を、
もう少し見直してみようということを言っています。

この考えを参照したうえで、結論を先に言えば、
「バランスが良い状態」とは
「行雲流水」「止住」の両方が共存した状態だと言えるでしょう。

「止住=バランス」「行雲流水=アンバランス」ということではなくて。

前半の話では、
基本的に「バランス」と「アンバランス」を分けて考えていましたが、
ぼくはこの2つが同居した状態こそ
「バランスが良い状態」だと考えたいと思います。

なぜか。
そう考えた方が得なことが多いと思うからです。

つまり、
「バランス」と「アンバランス」を分けて考えてしまうことによって、
「バランスが良い=止まる」という発想が生まれてきてしまうと思うからです。

今でこそ認識は変わりましたが、
ぼくは「バランスを良くしましょう。」と言われると、
力みが出てしまって、「動かない」方向へ、「止まる」方向へと
身体を導いてしまうことが多々ありました。

これは、
「バランスが良い」という状態を、
「(筋肉で固定して)止まる」と考えていたからだと思います。
こういう経験は、きっと多くの人が共有しているものだと思います。

ここから一歩進むためにも、
「バランスが良い」ということを、

「今の自分(もしくは2人)を成り立たせるために、常に揺れ動いている状態」

と考えたいと思います。

「バランスが良い」ということは、
決して「(筋肉で固定して)動かない」ということではない。

外から見れば「静止」しているように見えても、
内部では微細に揺れ動いている。

生体レベルで考えればもっと分かりやすいと思います。
意識しなくても心臓は勝手に動いているし、血管は勝手に血を運んでいます。
胃は勝手に朝ご飯を消化しているし、細胞は勝手に分裂を繰り返している。

こういった様々なレベルで、
常に揺れ動いている状態というのは、
いつでもどの方向に踏み出せる準備ができているということだと思います。

これは、
身体の動かし方に留まらず、
人間関係のあり方にも応用できる考え方ではないかと思います。

長くなってしまいましたが、
今回はこの辺でzzz

2011/02/22

コメントする