社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#33 悪いのはなぜ?

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《雪の街を行く路面電車。ゴトゴトと鈍重に。この遅さが醍醐味?》

みなさん,こんにちは.

世の中でよく使われる言葉に,

「誰が考えたっておかしい.やめたほうが良いって.」

というものがあります.

似たようなものには,

「周りにそんなことやってる人いないでしょ?そんなのやめなさい.」など.

これは,

「大勢の人はそう考えていない.
だから,そのような考え方をするあなたはおかしい.」

という,とてもシンプルなロジックです.
言い換えると,これは,
そのことを悪いと考えている人が多い,という理由で
その人の行動をとがめるような論理
のことだと言えるでしょう.

この考えの根っこには,

「多数派の支持する考え方には無条件で従わなければならない.」

という前提があると思います.

そして,この背後には,

「多数派に乗り遅れると,損をしてしまうかもしれない.」

という不安があると思います.

例えば,駅の自動改札.

今現在,電車に乗ろうと思ったら,
自動改札機を通ることが当たり前(多数派)になっています.
そんな中で
「おれはそんな無機質なのは嫌だ.毎回駅員さんに切符を切ってもらうのだ.」
と意気込んでもそうそう長く続かないと思います.

なぜか.
それは,自動改札の方が便利だからです.

毎回毎回いちいち窓口の駅員さんを呼び出して,
目で見て確認してもらうというのは,
今では,特に都市部ではそうそう続けられないと思います.

歩みを変えずにすいすいと駅構内に吸い込まれていく人達を横目に,
毎回もぞもぞと駅員さんに切符を提示する状況を思い浮かべて見てください.
「損している.」と思う人はけっこう出てくるのではないでしょうか.

これに似たことが社交ダンスの世界にもあります.

ぼくは昔,
競技会に向けてパートナーと練習していた時に,
うまく踊れなかった時,
その原因を自分か相手のどちらかに求めなければならない場面に
何度も直面しました.

そんな時,
今のは自分でも何故うまくいかなかったか分からないのに,
「お決まりの」言葉遣いで自分もしくは相手のせいにして,
解決したことにしようとしていたことが何度もありました.

つまり,
自分ではよく分かっていないにもかかわらず,
社交ダンス界に流通する「定番の」言葉に迎合して,
それを口に出すことによって,
問題を解決したことにするというような態度です.

これは,かなりズルい態度です.

しかし,こういう場面は日常にあふれている.
そう思います.
むやみやたらと一般論を口にする人にはこの傾向が強いように思っています.

具体的に説明すると,例えば.

ワルツでライズ(カカトを上げて体をアップさせることです)をした時に,
女性がバランスを崩して男性のほうに倒れかかるようなことがあったとします.

これを外から見ると,
一見,女性がバランスを崩したので,
女性側に問題があるという現状理解になりがちです.

「ああ,あの人,男性側にもたれかかったな.うまく踊れていないんだな.」
と.

ぼくの見る範囲では,
社交ダンスが練習される場において,
こういう認識が広く採用されているような気がします.

つまり,
これが問題を説明するうえでの多数派になっていると.

そういう認識に依拠するのであれば,

「女性がもっと筋力アップをせねば」とか
「女性がもっと力の抜ける方向性を理解して,
相手(男性)にもたれかからないようなバランスを実現する必要がある.」
といった,
女性側を矯正するという方向に対応策を発想していくという流れになります.

踊っている当の本人も,
「こういう場合は,女性に原因がある場合が多い.」という,
自分の外にある出来合いの理由に従う方が楽なので,
そういうことにしてしまう.
そんな場合が多いように思います.

もちろん,
そういった対応が功を奏することもあると思います.

実際に,
一方の筋力不足や技術の理解不足から引き起こされる不具合もあると思います.

しかし,
そのような現状認識ではうまくいかない場合も多くあると思います.
つまり,
上のシナリオとは違うストーリーラインを想定する場合もあると.

例えば,

女性が立ちやすいスペースを,男性が確保しなかった.
ホールド(2人が組んでいる腕の枠のことです)をガチガチに固定して,
女性の柔軟な動きをサポートする役割を果たしていなかった.
男性が女性を抱え込み過ぎて,女性を男性のほうに引っ張り込んだ.

などといった説明の仕方も,
場合によっては想定されてしかるべきだということです.

つまり,
女性が自分の過失によりバランスを崩したというよりも,
男性のアクションが引き金となって,
バランスを崩し,結果,男性のほうに倒れ込んだという事態に至った.
という場合もあり得るということです.

社交ダンスの世界では,
特に競技ダンスの世界では,
2人で練習するとなれば,
「けんか」というものの存在が大きく立ち上がってきます.

まるで,
真剣に練習するなら「けんか」しなければならないとでもいうかのような.
そんなぴりぴりとした雰囲気を醸し出すことが,
さも「自然」なことのように思われている世界でもあると思います.

ぼくはわりとドライなほうなので,
「けんかなんてくだらない.お互いをののしり合ってまで踊りたくない.」
と考えています.

けんかをすることが真剣さの証明だとも思っていません.
「プロだから」「勝つために」
といった大義名分では納得することはできません.

このようなけんかの理由の一つには,
問題をどこに設定するかの認識の違いがありそうです.

今の失敗は
「あなたのバランス感覚のせい.」「君の理解力不足のせい.」とか.

そういう時に、
一般論で相手に責を負わせるか、
自分が感じた微細な感覚に忠実に、言葉を尽くして互いに歩み寄りを図るか.

仮に問題解決の方向性が結果的に一般論と同じになったとしても、
自分達の個別の状況に即して導き出されたものであるならば、
それはかけがえの無いものだと思います。

現状をどのように理解するかで,
その後の議論が生産的になるかどうかも変わってくるということでしょう.

現状を理解するのに,何を参照項にするか.
外部にあるレディメイドの意見か,
自分に備わった微細な感覚か.

こういうことに自覚的になっておくことは,
けっこう大事なことのように思います.

以前,法純さんは,
「私の心はどこにあるのか?それは自分に聞くしかない.」
ということを書いていました.
生まれたばかりの赤ん坊でない限り,
ぼくたちには言葉というツールがあるので,
それを頼りに自分自身に「聞いて」いくことが大切だと思いました.

今回はこの辺でzzz

2011/02/25

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