九州から東京に戻って来て、今日は懐かしい友人達に会いました。
高校時代からの、そして大学の友人。
学生時代の友人というのは有り難いものです。
あまり理由なく一緒にいることを続けて来たから
なんでも思った事はいえるし、なんにもいわなくてもなんでもない。
「星太郎って変なやつだと思うけどブログにはまじめなこと書くんだね」
とポツリといったりします。
うーん、もっと読んでくれた人がさらっと楽しめることを書きたいんだけれども
どうしても特に最近は「まじめな話」になってしまう。
ヘトヘトに疲れているのかもしれません。
とにかく答えがでない、問い。
その中で溺れている感覚。
不思議に思うことが次々でてくるんです。
先日故郷の鳥取県米子市が震災がれきの受け入れを表明しました。
関東から米子に疎開をしている小さい子供を連れた友人から聞いて初めて知りました。
僕は恥ずかしながら震災がれきについて、何も知りません。
安全(危険)だっていってるけど、ほんと?
なんで遠くまで運ぶの?
近くではだめなの?
震災がれきは誰のどんな問題になってるの?
それを運ぶことで、誰のどんな助けになるの?
全然わからん。誰に聞けばいいかも。
二週間後には、ベルリンに帰る身です。
今僕が何を問うても、仕方がないかもしれません。
何かが変わるとはとても思えない。
でも、問いを無視して、答えに無関心で、その結果起こってしまったことに
「一個人ではどうにもならない」とぼやくのはどうもおもしろくない。
ないとわかっている「答え」を問い続けてみませんか?
なんだか最近僕たちはもう一個人じゃない気がします。
どうにもならなくても、バカみたいでも、そんな事やってるひまがあったら
明日のご飯をたべるお金を稼いだ方がいいんじゃないかと思っても、
問いを先延ばしにしちゃいけない状況に、いるんじゃないか。
そんな面白くもない事を長々と書いてしまって申し訳なく思う、週末の夜。
でも温かい人の縁と言葉に励まされ、なんとかやっていけそうだ。
そんな希望にも溢れた、東京都心は不思議な道場です。
今日も雲水喫茶にきてくれてありがとうございます。
好い日々を・・・!
はじめましてですが、先日、天龍寺でちょこっとお会いした者です。
福井の本屋さんでもようやく星覚さんの本を見つけましたので、早速読ませていただきました。
写真や絵が多くて、とても良いです(笑)。
とても禅的な一冊だと思います。
先の『禅の旅報告』のアップと、また近い将来に天龍寺でお会いできる日を楽しみにしております。
田中菜子拝
コメントありがとうございます!
著書も読んで下さって嬉しいです。
多くの人が禅を知って、好きになり生活の中にとりいれてもらえるように
さらに精進して参ります。
またお会いしましょう!
星覚九拝