金、土、日と摂心のためにポーランドのポズナンに来ました。
夜はアンジェイのボロボロのフィアットにすし詰めで乗り込み
パヴェルのこれまたボロボロのアパートへと送ってもらいます。
みんなとっても仲が良く、信号が変わるたんびに笑い声が狭い車内に響きます。
ポーランドはEUに加入していますが、EUROを使っていません。
(変わりにZŁOTYという独自の通貨単位を使用)
原発もありません。
「なんでなの?」
「必要ないもん」
あっさりそう答えたのは
日本語を巧みに操るポーランド出身の雲水、法純さん。
この答えを、つまらない、消極的、豊かでない、などと感じる人もいるかもしれません。
でも少なくとも彼らの生き方は積極的な楽しさに溢れ、
人と人とのつながりに、むしろ顔がほころぶような豊かさを感じました。
「必要ないもん」
これは決して何かを否定する言葉ではなく
大切なものを発見するための魔法の言葉なのかもしれません。
今、僕たちに本当に必要なものはなんなのでしょうか。
目の前を博物館から出てきたガチャピンのような
趣のある路面電車が通り過ぎていきました。
最近、街の中にあるトイレ。百貨店や豪華なホテルなどでみかけるトイレ。
入ると同時にフタがウィ~ンと自動的に開くのですが…。
「いや、自分で開けられますから・・・」
と思ってしまいます。
必要ですか?あれ。
結構真剣にその場で考えてしまいました。
小さなことですがあまりにも便利すぎて怖いんです。
コメントありがとうございます。
「自分で開けられますから!」ツッコミたくなりますよね(笑)
親切なトイレは日本のおもてなしの心が生んだ素晴らしい側面もあると思いますが、誰が何の為にどこまで必要なのかを常に見極めるバランス感覚が大切だと考えています。
それをいうなら、自動的に流してしまう「高級」トイレは、おせっかいすぎて、ため息がでます。私たちの日々の「身体からのニューズレター」、確認する前に流さないで〜、返して〜と。自由を奪うにも、ほどがあります。なくていいものは、ないほうがいいとおもいます。
確かに(笑)!
返して〜ってなりますね。
「高級」な生活は自然から目を背けるようにできていてよほどの実力がないと暮らしこなすのが難しそう。
考えさせられます。
トイレネタなら私もあります!
職場に一ヵ所全自動(?)トイレがあって、私はたまにしか使ってないにもかかわらず、、、他のトイレの個室内でボゥっと立っている自分がいたり(フタが上がるのを待ってたみたい)、流さずに個室から出ようとしたり(流さず出てる時もあるのかも)。
便利って人間を退化させるの?!
さち
なるほど・・・そういう反応はしてしまいそうです。不便というものが、実は人間にとってなかなかどうして、いいものなのかもしれませんね!