8月6日の朝、毎日坐禅に来てくれるスペイン人の男性に誘われて、読経の後に近所の大きな公園(Volkspark Friedrichshain)に向かいました。
チャリを駆ること15分、8時には園内の湖畔に着きました。
そこにヒョッコリ建つ鐘楼堂にこんな時間からパラリパラリと集まる老若男女は15人ほどでしょうか。誰にいわれるわけでもなく黙祷をささげ、花を供えたり、ロウソクに火を灯したり。
大きな鐘には「世界平和の鐘」「Hiroshima」「Nagasaki」の文字が刻まれています。
ああ。
ああ。
ありがたくて涙がとまりません。以前から不思議なところに不思議なものがあるなと思ってはいたけれども。今夏一緒に日本で旅をしたドイツ人の友人からアルバムが送られてきたのは、その翌日のことです。
そう 簡単なことではないけれど きっと今なら できるよね
祈諸縁吉祥福壽無量
星覚九拝
今年初めて広島平和記念式典に参加しましたが、平和記念資料館や式典が特定の人・団体・国に対する政治的意図を持った場・時や怨恨の場・時では無く、平和の尊さを全世界に発信する場・時である、と確信しました。
特に中・高校生ピースクラブのポスター展で、主宰者の若者が海外の方に一生懸命身振り手振りでポスターの内容を説明しまた海外の方が何とかそれを理解しようと聞いてくれていた姿や、教え教えられながらともに折り鶴を折っていた光景は、その象徴にも思え思わず落涙してしましました。
和久さん、
いつもありがとうございます。広島平和記念式典に参加されたのですね。意図を持った特定のなにかになった途端にいろいろと問題がでてくるようで難しいものですが、それでも伝えずにはいられないなにかに人の心は動かされるのかもしれません。広島での式典の継続は世界にとって大変尊いことだと思います。この「普段は全く謎」な平和の鐘からもそんな力を感じました。どうか好い夏の日々を〜
星。