水と暮らしに関心をもつ全ての人へ 集会のよびかけ
ウェブサイトにて失礼致します。来週24日土曜日に鳥取県米子市で開催される集会についてお知らせです。
おおよそ以下の流れです。色々な想いが渦巻きどうしていいかわからぬままキーボードを叩いています。読みにくいとは存じますがご堪忍下されば幸いです。
<一> はじめに 集会の概要
<二> なぜ集まろうと思ったか
>産業廃棄物最終処分場の建設計画
>集会が必要だと感じた経緯
<三> 今、できることは何か
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<一> はじめに 集会の概要
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6月24日(土)に私の故郷、鳥取県米子市に人々が集います。13時半に米子市文化ホール前にて、皆でお茶を飲み、集い、米子市内を歩く会です。
https://www.facebook.com/events/238679379966161
(イベントページです。FBのアカウントは必要ありません)
https://www.facebook.com/events/238679379966161
(イベントページです。FBのアカウントは必要ありません)
水と暮らしについて改めて考え、行動する好い機会です。
足を運ぶことができる人は是非来て下さい。私も参ります。また、お知り合いで御足労願えそうな人、当日来れなくても興味のありそうな方がいましたら是非お知らせ下さい。少しでも多くの人にこの集まりのことを知って頂きたいです。
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<二> なぜ集まろうと思ったか
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>産業廃棄物最終処分場の建設計画
私がこの集会に足を運ぼうと思ったきっかけは、鳥取県米子市淀江町に産業廃棄物最終処分場を建設する計画があると知ったからです。淀江町は名水百選に選定された「天の真名井」の水が湧く美しい土地です。産業廃棄物最終処分場とは簡単にいうと「ゴミ捨て場」です。自宅の庭に喜んでゴミを捨てたがる人は誰もいません。
ではなぜ、その「ゴミ捨て場」を淀江町につくる計画が進んでいるのでしょうか?
私は建設計画について調べ始めました。その過程で数々の問題と共に「美しい庭にゴミ捨て場をつくる計画」を考慮せざるをえない様々な事情も発見することになりました。中でも最も大きな発見は、これは日本の片田舎だけに限った話ではなく、現代社会に生きる全ての人類が今、同様に抱えている問題の構造と共通していることでした。
>集会が必要だと感じた経緯
以下、何もせずにはいられぬと思うに至った経緯を書きます。
5月15日(月)、鳥取県智頭町のあるパン屋さんでこの計画のことを初めて耳にしました。その日はあまり気にならなかったのですが、三日後にそこから遠く離れた鳥取県米子市にある別のパン屋さんで、智頭町のパン屋さんでもお会いした森田さやかさんというアーティストに偶然再会しました(よほどパン屋さん好きなのかも知れません。。。)彼女から淀江町の産業廃棄物最終処分場の建設計画があることを改めて聞き、興味を持って調べ始めました。
5月21日(日)、山本節子さんの講演会があることを知り、伺いました。彼女は長くゴミ問題に関わり、弱者の立場にたった大変貴い活動をされている方です。著書『ゴミを燃やす社会』、訳書『ラブキャナルー産廃処分場跡地に住んで』を拝読し、色々なことを感じました(まずは自分の不勉強を恥じました)。
https://www.facebook.com/events/338082476608916
(山本節子さん講演会のイベントページです)
(山本節子さん講演会のイベントページです)
その後奈良を訪れました。以前訪れた時には豊かな田んぼだったところが埋め立てられて老人ホームになっていました。この国のこれからを考えさせられました。
https://www.facebook.com/events/958398084234465
(高畑の「田んぼ」と「景観」を守る会の署名を募っていたページです)
(高畑の「田んぼ」と「景観」を守る会の署名を募っていたページです)
その後和歌山、山梨、東京、京都、慌ただしく旅を続けながらずっと建設計画のことが気になっていました。もはや他人事ではありません。自分の故郷の水源で起きている問題に、どうしても、今、私が関わらずにはいられない気持ちになりました。
6月9日(金)に伊根町から丹後鉄道、山陰本線で山陰の美しい景色を眺めながら再び実家に戻りました。すぐに森田さやかさんに電話しました。するとちょうど彼女の友人達が米子市長である伊木隆司さんにお会いしたところで、今後どうするかを共有したかったといいます。そこで、もしお時間許せば現況を聞かせてもらえないかと御願いしました。
6月10日(土)の19時から、駅前のお店でお会いできることになりました。そこにはさやかさんだけでなく多くの人が集まって下さることになりました。15人以上集まり、私を含め男性は2人、他は全て女性でした。中には高校生もいました。
輪になって一人一人の話を聞きました。一人一人が地域や自然の調和を考え、真摯な行動を重ねている様子が伝わってきました。自分の生活がある中で、それは簡単なことではありません。こうして活動して下さっていることへの深い敬意と感謝を抱かずにはいられませんでした。いい村は女が元気だと聞いています。とても頼もしくなりました。
輪になって一人一人の話を聞きました。一人一人が地域や自然の調和を考え、真摯な行動を重ねている様子が伝わってきました。自分の生活がある中で、それは簡単なことではありません。こうして活動して下さっていることへの深い敬意と感謝を抱かずにはいられませんでした。いい村は女が元気だと聞いています。とても頼もしくなりました。
そこでは伊木隆司さんとの面会の様子も聞くことができました。
まず第一に感じたのはこの地域への希望です。市長さんがこうやって市民と会って対話してくれることの有り難さ。一つの地域を代表する立場、一体どれほどの重圧、多忙さでしょう。色々な人の色々な意見を聞く一方、御自身の意見を何のしがらみも無く聞いてもらえる機会がどれだけあるのでしょう。そんな中でも市民と対話の意志を示してくれる市長さんを私は尊敬します。
その後も皆で話し合い、できるだけ多くの地元の人達を巻き込んで、意見の違いを越えてこの問題を共有しようという流れになり、6月24日に集会を開くことになったというわけです。
6月11日(日)朝10時、昨日お店に来てくれた中のお二人と一緒に三人で、早速警察署に集会の届けを出しにいきました。休日で受付てもらうことはできませんでしたが、翌日の案内を丁寧にしてもらいました。
6月12日(月)朝10時、再び警察署にいきました。昨日の三人とさらにもう一人、合計四人で集会の届けを出しました。警察の方は大変親切に相談にのって下さり、公園などの候補地を検討し、多くの意見を聞きたいという想いから、たくさんの人達が集える米子市文化ホール前に集まり、その後市内を歩く計画になりました。
翌13日(火)から再び旅が始まりました、その間に24日の集会について知らせるイベントページができました。
https://www.facebook.com/events/238679379966161
(冒頭のリンクと同じです)
https://www.facebook.com/events/238679379966161
(冒頭のリンクと同じです)
なんとも表現し難い気持ち。
さやかさんや、一緒に警察署にいってくれた方にその想いをそのまま御伝えしたところ、それを行動に移せるのは星覚さんしかいない、是非実践して欲しい、と応援して下さりました。
色々と悩んだ結果、とにかくまずは今の想いを言葉にすると決めた次第です。
さやかさんや、一緒に警察署にいってくれた方にその想いをそのまま御伝えしたところ、それを行動に移せるのは星覚さんしかいない、是非実践して欲しい、と応援して下さりました。
色々と悩んだ結果、とにかくまずは今の想いを言葉にすると決めた次第です。
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<三> 今、できることは何か
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それでは今、できることは何でしょう。
一番に書いておきたいのは「和をもって貴しとなすこと」です。
一番に書いておきたいのは「和をもって貴しとなすこと」です。
そう聞くとそんなキレイゴトを言っても実際には何もできない、と考える人もいるかもしれません。
確かにそれは容易ではありません。あるいはただの非現実的なスローガンになってしまうでしょう。
しかし経験上、やり方を間違えず行動が伴えば「非現実的」どころか実際には一番現実的な方法と言わざるをえません。「和をもって貴しとなす」とは「下手に出る」ことではありません。自分の事情は内に秘め、相手の言い分を聞きながら、道理に合った生き方を皆が実践せずにはいられない環境を調えることは十分可能です。
確かにそれは容易ではありません。あるいはただの非現実的なスローガンになってしまうでしょう。
しかし経験上、やり方を間違えず行動が伴えば「非現実的」どころか実際には一番現実的な方法と言わざるをえません。「和をもって貴しとなす」とは「下手に出る」ことではありません。自分の事情は内に秘め、相手の言い分を聞きながら、道理に合った生き方を皆が実践せずにはいられない環境を調えることは十分可能です。
また、今回の場合「迅速に行動しなければいけないこと」と「時間をかけて地道に行動しなければいけないこと」をわけて考える必要があります。
「迅速に行動しなければいけないこと」の第一は身体と心をひとつにすること。そうすればその場に応じ的確に行動し、間違っていることは放っておけなくなります。ところが(特に私は人に好かれたいという想いが強く)身体と心がバラバラになりがち。これをひとつにした上で、会うべき人に会い、想いに耳を傾け、言葉にすべきことを言葉にしたいです。
「時間をかけて地道に行動しなければいけないこと」は、より実践している人を見つけ、真似をすることです。
そういった人は探せばたくさんいます。一例としてネルケ無方さんを挙げることができるでしょう。彼はドイツ出身ながら現在山陰にある安泰寺に住み、世界中から集った人達と自給自足の生活を営んでいます。「どうやって暮らしていけるのか」と聞きたくなるようなゴミをほとんど出さない暮らし。それを出自や思想、言語の壁も越えて現に実践している人達がいるのです。
そういった人は探せばたくさんいます。一例としてネルケ無方さんを挙げることができるでしょう。彼はドイツ出身ながら現在山陰にある安泰寺に住み、世界中から集った人達と自給自足の生活を営んでいます。「どうやって暮らしていけるのか」と聞きたくなるようなゴミをほとんど出さない暮らし。それを出自や思想、言語の壁も越えて現に実践している人達がいるのです。
それら全てを真似する必要はありませんが、なぜ彼らがそのような生き方を実現できているのか、調べてみることはできます。
無方さんはお坊さんである程度名前が知られていますが、黙々と、よりゴミをださない暮らしを普通にしている人は、知られていないだけで実はたくさんいるはずです。例えばそういった人達に気づき、そこから謙虚に学んでいく姿勢。それは「和をもって貴しとなす」ひとつの例です。そういったものは、隣人や、次々の世代にまで、必ず伝わります。
長くなってしまいました。
自然が私たちのゆたかな暮らしを支えていることは疑いようがありません。それを大切にしたい気持ちは古今東西の人々に共通です。その一方で産業や経済も私たちのゆたかな暮らしを支える大切な要素です。実際に処分場を建設することによる経済効果は多大なものであると期待されます。自然を守ることは勿論大事ですが、同じように人間の暮らしを守ることも大事です。
このような白黒選び難い問題は、道理にかなったことを認め、不正をゆるさないことは勿論ですが、白も黒も同時に選ぶ新たな道を再発見する智慧が求められます。
そこで皆さんの力を貸して頂きたい。
「三人よれば文殊の智慧」ということわざがあります。一人ではどうしても偏った考えに陥りがちですが、まずは声をかけ合い、息を合わせ、意見の違いを認めた上で共に集い、歩くことが第一歩。二人、三人と集まれば、それだけで歩むべき道筋が自ずから見えてきます。
「三人よれば文殊の智慧」ということわざがあります。一人ではどうしても偏った考えに陥りがちですが、まずは声をかけ合い、息を合わせ、意見の違いを認めた上で共に集い、歩くことが第一歩。二人、三人と集まれば、それだけで歩むべき道筋が自ずから見えてきます。
処分場は必要なのか、必要であるとしたらどのような処分場にすればよいのか、必要ないとしたら私たちはどのような暮らしを目指せばいいのか。和を広げていくことが大きな力となります。
6月24日(土)の13時半、鳥取県米子市文化ホール前にどうか来て下さい。多己の想いを聞くきっかけとなれば嬉しいです。
6月24日(土)の13時半、鳥取県米子市文化ホール前にどうか来て下さい。多己の想いを聞くきっかけとなれば嬉しいです。
長文乱文、読んで下さりありがとうございます。
平成二十九年六月十六日
祈諸縁吉祥福壽無量
星覚九拝
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