写真家 野崎悠の「悠悠自適」

無意識へのアプローチ



IPサイマル放送 redikoが始まりました。
AM,FMなどで流れているラジオをリアルタイムにネットで
聞けるというものです。

今までもポッドキャストなどで聞けましたが、
曲が著作権の関係で流せなかったり、CMもアナウンスがひたすら流れて
聞けないなど通常の放送の感じとはかなり違いました。

その点ラジコはそのまま全部流れています。
AMなんて近年まずお目にかかれないステレオ放送だしAMとは
思えない高音質ぶり。
逆にCMに入る一瞬の無音部分にノイズが無いのが淋しいぐらいです。

関東と関西の一部地域、8月までの試験運用ですが
ラジオ好きな方はぜひ聞いてみてください。

と、ラジコの宣伝をしたいわけではなく。
ラジコのおかげで更にテレビを見なくなったという話しを
したいと思います。


僕は小さい頃から大のテレビっ子。
おかげで色々な雑学も気がつかないうちに頭に入っており、
年齢がかなり上の方とも共通の話しが出来るのはテレビのおかげだと
思っています。

それがここ数年ほとんど見なくなりました。
以前は他のことしていてもテレビは常につけているし、録画も大量。

見なくなった理由はいくつかあります。
・面白い番組が減ってきたこと(録画すらしなくなった)
・見ている時間が無くなったこと
・youtube、ニコニコ動画を見る時間が多い

ニコニコ動画などはあのコメントのおかげで、
なんだか落語の寄席にいるような会場の空気感みたいなものがあるのが好きです。


そしてもう一つの理由。それは
無意識に起きている感情の変化に疲れたこと。

地上波などは特に自分から今自分が必要とする情報だけを得るのは難しい。
天気予報を見ようとニュース番組をつけたらほとんどは残忍なニュース。
気がつくと無意識にそのニュースにイライラしたり悲しんだりして
肩に力はいっていたりする。

様々な感情を起こさせる情報が、視覚と聴覚を使って次々に自分に
入ってきているわけです。自分が意識していないところでも。
ネット動画などで自分が今必要な情報や感情だけにアクセスしていると
テレビで起こる無意識での感情の起伏みたいなものがとても少ないので
あまり疲れないんです。

テレビが悪いとは思いません。
ただ、ちょっと無意識に自分の気持ちが動かされていることに
疲れたという話しです。


で、ラジコの話しに戻ります。
ラジオも方式としてはテレビ地上波と変わらないわけです。
様々な情報が一方的に流れてきている。けれどテレビほど疲れない。

きっと一つは"視覚情報"が無いことでしょう。
人間にとって視覚の影響力は相当なんだと思われます。
次にテレビのような忙しなさが無いからでしょうか。
ラジオ聞いた後にテレビ聞くとすべての速度に驚きます。


禅の旅で永平寺へ行くと撮りきれないほど沢山撮りたいところがあります。
しかしバタバタ焦って撮ったりは何故かしない。

都心で何か撮りたいものがたくさんあるとき、
時間に余裕があるのにバタバタして焦りながら撮ったりする。

目の前に広がる景色や時の流れに影響されているのかもしれません。

そんなこともあり今までよりも自分の部屋を片付けるようになりました。
ものが多いのであまりシンプルに出来ないのですが、
それでも極力目の前がザワザワしないようにする。

きっと目の前の光景が無意識に自分に影響しているような気がしてなりません。
というか、そうだと思っています。


無意識に頭が疲れるようなことは避ける。
無意識に影響しそうな目の前の光景、音を整える。

これが最近心がけている僕なりの無意識へのアプローチです。


しかしラジコ最高・・・
なんでこんなに雨音とラジオって合うんですかね。

okurimono01.jpg

2010/03/25

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