社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#2 手をつなぐということ

 

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みなさんは、最近誰かと手をつなぎましたか?


ご存知の通り、社交ダンスの世界では、相手と手をつなぎます。

手をつなぐどころか、身体と身体を密着させます。

 

社交ダンスは、2人で踊るダンスです。

手をつなぎ、身体を密着させて、同じ曲に合わせて身体を動かしていく。

そんな営みです。


僕はほとんど毎日、生徒さんやパートナーと手をつなぎ、身体を寄せ合って2人だけのオリジナルの踊りを模索しています。


「さあ、始めましょう。」

と言って、レッスンが始まると、必ず生徒さんの手をとります。

エクササイズを終えた後、必ず、組んで、身体をくっつけます。

 

僕に限らず、社交ダンスの先生は、まさに"人とふれあう"仕事です。

身体と身体を触れ合わせて、言葉を交わし、ダンスという道具を通じて、心と心の交流を持つ。そんな素敵な仕事です。


社交ダンスの世界は、少し難しく言うと、身体の接触が構造化されている世界です。


身体をくっつけることが、前提になっている世界。

おかしいことではない世界。

当たり前の世界。

むしろ、くっつけない方がおかしい世界。

 

そういう世界です。


だから、身体と身体が触れ合うことが日常的に行われています。


僕はそんな世界に身を置いています。

そしてそんな日常の中で、気付くこともあります。


例えば。


手をつなぐと、どうなるんでしょうか。


そう。


相手の体温が伝わってきますよね。

逆に、自分の体温も相手に伝わっているはずですよね。


体温に限らず、力みや震え、湿気や手触り、手を通していろんな感覚がお互いの身体を行き来します。

人は、手をつなぐだけで「あぁ、この人は優しそうな人だな。」といった、何らかの印象を相手に対して抱く、と言われるのにも根拠がありそうですね。


手をつなぐだけでもそうなんだから、身体と身体を密着させると、交流する情報はものすごくたくさんになるはずです。

言葉に落とせないだけで、ものすごくたくさんのものを、お互いの身体に流れ込ませているはずです。


いつも手が温かい人が、今日はやけにひんやりした手をしていた。

どうしたんだろう?


反射的にそう思ってしまいます。


逆に、いつも手が冷たかった自分が、手をつないだ時に、「あれ?今日は温かいね。」と言われたり。


前回は、一歩の踏み込みが及び腰で小さかったのに、今日は体をいっぱい使って踏み込んできた。

今日は気合入ってるのかなー。


そう思います。


こうやって、身体と身体のやり取りが、言葉と言葉の交流に置き換わったり、また別の形に変換されたりして、何らかの形に展開していくんでしょう。

 

身体と身体のふれあいは、言葉と言葉のふれあいよりも先にあるものだと思います。

人間にとっての、根源的なコミュニケーションとでも言えるでしょうか。 

 

ただ、身体にふれるだけ。

ただ、手をつなぐだけ。


それだけで伝わること、伝わってしまうことがたくさんあると思うんです。

言葉よりも。


だから、自分にとって大切な人とは、さりげないふれあいを多く持ちたいと思っています。

髪に付いたほこりを払ってあげるとか、服に付いた糸くずをとってあげるとか、急な階段を上っている時に手を取ってあげるとか・・・


こういう話をした時に、


「それって、セクハラでしょ?自分にはとてもとても・・・」


という反応よりも、


「自分も明日から気軽にやってみよう。」


という反応が増えてきてほしいなーと思います。


そんな世の中になれば良いな、と思います。

 

各々の身体の中にある、小さな星の輝きが、今よりも深みを帯びるお手伝いができれば。

このエッセイがそんな役割を果たせれば、そんなことを思いながら。


今回はこの辺でzzz

2009/09/15

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