ご存知の通り、社交ダンスの世界では、相手と手をつなぎます。
手をつなぐどころか、身体と身体を密着させます。
社交ダンスは、2人で踊るダンスです。
手をつなぎ、身体を密着させて、同じ曲に合わせて身体を動かしていく。
そんな営みです。
僕はほとんど毎日、生徒さんやパートナーと手をつなぎ、身体を寄せ合って2人だけのオリジナルの踊りを模索しています。
「さあ、始めましょう。」
と言って、レッスンが始まると、必ず生徒さんの手をとります。
エクササイズを終えた後、必ず、組んで、身体をくっつけます。
僕に限らず、社交ダンスの先生は、まさに"人とふれあう"仕事です。
身体と身体を触れ合わせて、言葉を交わし、ダンスという道具を通じて、心と心の交流を持つ。そんな素敵な仕事です。
社交ダンスの世界は、少し難しく言うと、身体の接触が構造化されている世界です。
身体をくっつけることが、前提になっている世界。
おかしいことではない世界。
当たり前の世界。
むしろ、くっつけない方がおかしい世界。
そういう世界です。
だから、身体と身体が触れ合うことが日常的に行われています。
僕はそんな世界に身を置いています。
そしてそんな日常の中で、気付くこともあります。
例えば。
手をつなぐと、どうなるんでしょうか。
そう。
相手の体温が伝わってきますよね。
逆に、自分の体温も相手に伝わっているはずですよね。
体温に限らず、力みや震え、湿気や手触り、手を通していろんな感覚がお互いの身体を行き来します。
人は、手をつなぐだけで「あぁ、この人は優しそうな人だな。」といった、何らかの印象を相手に対して抱く、と言われるのにも根拠がありそうですね。
手をつなぐだけでもそうなんだから、身体と身体を密着させると、交流する情報はものすごくたくさんになるはずです。
言葉に落とせないだけで、ものすごくたくさんのものを、お互いの身体に流れ込ませているはずです。
いつも手が温かい人が、今日はやけにひんやりした手をしていた。
どうしたんだろう?
反射的にそう思ってしまいます。
逆に、いつも手が冷たかった自分が、手をつないだ時に、「あれ?今日は温かいね。」と言われたり。
前回は、一歩の踏み込みが及び腰で小さかったのに、今日は体をいっぱい使って踏み込んできた。
今日は気合入ってるのかなー。
そう思います。
こうやって、身体と身体のやり取りが、言葉と言葉の交流に置き換わったり、また別の形に変換されたりして、何らかの形に展開していくんでしょう。
身体と身体のふれあいは、言葉と言葉のふれあいよりも先にあるものだと思います。
人間にとっての、根源的なコミュニケーションとでも言えるでしょうか。
ただ、身体にふれるだけ。
ただ、手をつなぐだけ。
それだけで伝わること、伝わってしまうことがたくさんあると思うんです。
言葉よりも。
だから、自分にとって大切な人とは、さりげないふれあいを多く持ちたいと思っています。
髪に付いたほこりを払ってあげるとか、服に付いた糸くずをとってあげるとか、急な階段を上っている時に手を取ってあげるとか・・・
こういう話をした時に、
「それって、セクハラでしょ?自分にはとてもとても・・・」
という反応よりも、
「自分も明日から気軽にやってみよう。」
という反応が増えてきてほしいなーと思います。
そんな世の中になれば良いな、と思います。
各々の身体の中にある、小さな星の輝きが、今よりも深みを帯びるお手伝いができれば。
このエッセイがそんな役割を果たせれば、そんなことを思いながら。
今回はこの辺でzzz
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