≪蘭島の海。蘭島は札幌から車で1時間ちょっと。波の音に心を静めてもらいました。≫
みなさん、こんにちは。
ちょっと間が空いてしまいました。
さて。
禅の世界にはいろいろな考え方があるようです。
その中でも、おそらく核となる考え方の1つが、
"行雲流水"
だと思います。
雲のように水のように。
雲のように何事にも執着せず、悠然と大空を回遊し、
水のようにどんな器にもぴったりと対応する柔軟性を持つ。
そんなところでしょうか。
そして、"行雲流水"は、さらに2つの概念から構成されているようです。
禅僧の玄侑宗久さんによると、
"止住"と"流動"。
"行雲流水"は、この2つから成るそうです。
"止住"とは、1つ処にとどまること。1つのことを考えるということ。
"流動"とは、動き回ること。1か所に留まらないこと。
こんなところです。
旅を常宿とし、縁ができたら、一定期間そこに留まって。
時期が来たら、またふらっと旅に出る。
いろんな分野に首を突っ込んで、ふらふらと動き回り、
これだ!と思ったら、足を止めて何かを考えて。
そして、時期が来たら、またふらっと違う分野に興味を持って・・・
そんなライフスタイルのことなんでしょう。
動きまわって止まって。
止まったらまた動き始めて。
そんな一連の運動が、人間にとって"自然な"行為なんだということを、
禅の世界は教えてくれているようです。
ところで、社交ダンス。
社交ダンスにも、"行雲流水"。
ありそうです。
動いたと思ったら止まって。
止まったと思ったらすぐに動いて。
社交ダンスの先生は、みんな、ステップの構成をそうするようにしています。
ぐるぐるぐるっと、スピンをして、フロアの1辺をあっという間に移動したかと思ったら、
今度はその先に留まって、くどいぐらいに客席にアピールをする。
フロアの1方向に向かって踊っていたと思ったら、
急に方向を変えて違う方向の客席に向かって移動し始める。
競技会でもデモンストレーションでも、そういうことが常です。
常に動き回っていたら、観ている人は目が疲れます。
どこで拍手して良いか分かりません。
逆に。
常に同じ所で踊っていたら、観ている人は飽きてしまいます。
違う角度から、違う距離感で観たいと思います。
動きまわったり、たまに1つ処にとどまってみたり。
それが、ダンスを見てもらう上での、大切な要素になってきます。
本人のルックスや、身体能力や技術の高さとは別に、
そういうことへの意識が、社交ダンスには求められます。
雲水ダンサー。
踊る禅僧。
目指してみようかな・・・たぶん日本初・・・
動きまわったり、たまに1つ処にとどまってみたり。
身体の中にある星の輝きのことを、
禅の世界では"動く"ことと"たまに止まる"ことの同居だと説明しています。
人間の身体にとって自然な状態が、
"動く"ことと"たまに止まる"ことの同居だと説いています。
人間の身体感覚を基礎にしている社交ダンスの世界では、
その具体例をたくさん見つけられそうです。
今後も「禅と社交ダンス」の共通点について、書いていければ、と思っています。
今回はこの辺でzzz
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