社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#4 禅と社交ダンス

 

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≪蘭島の海。蘭島は札幌から車で1時間ちょっと。波の音に心を静めてもらいました。≫

 

みなさん、こんにちは。

ちょっと間が空いてしまいました。


さて。

 

禅の世界にはいろいろな考え方があるようです。

 

その中でも、おそらく核となる考え方の1つが、


"行雲流水"


だと思います。


雲のように水のように。

 

雲のように何事にも執着せず、悠然と大空を回遊し、

水のようにどんな器にもぴったりと対応する柔軟性を持つ。


そんなところでしょうか。


そして、"行雲流水"は、さらに2つの概念から構成されているようです。


禅僧の玄侑宗久さんによると、


"止住"と"流動"。


"行雲流水"は、この2つから成るそうです。

 

"止住"とは、1つ処にとどまること。1つのことを考えるということ。

"流動"とは、動き回ること。1か所に留まらないこと。


こんなところです。


旅を常宿とし、縁ができたら、一定期間そこに留まって。

時期が来たら、またふらっと旅に出る。


いろんな分野に首を突っ込んで、ふらふらと動き回り、

これだ!と思ったら、足を止めて何かを考えて。

そして、時期が来たら、またふらっと違う分野に興味を持って・・・


そんなライフスタイルのことなんでしょう。


動きまわって止まって。

止まったらまた動き始めて。


そんな一連の運動が、人間にとって"自然な"行為なんだということを、

禅の世界は教えてくれているようです。


ところで、社交ダンス。


社交ダンスにも、"行雲流水"。


ありそうです。


動いたと思ったら止まって。

止まったと思ったらすぐに動いて。


社交ダンスの先生は、みんな、ステップの構成をそうするようにしています。


ぐるぐるぐるっと、スピンをして、フロアの1辺をあっという間に移動したかと思ったら、

今度はその先に留まって、くどいぐらいに客席にアピールをする。


フロアの1方向に向かって踊っていたと思ったら、

急に方向を変えて違う方向の客席に向かって移動し始める。

  

競技会でもデモンストレーションでも、そういうことが常です。

 

常に動き回っていたら、観ている人は目が疲れます。

どこで拍手して良いか分かりません。

 

逆に。 


常に同じ所で踊っていたら、観ている人は飽きてしまいます。

違う角度から、違う距離感で観たいと思います。


動きまわったり、たまに1つ処にとどまってみたり。

 

それが、ダンスを見てもらう上での、大切な要素になってきます。

本人のルックスや、身体能力や技術の高さとは別に、

そういうことへの意識が、社交ダンスには求められます。

 

雲水ダンサー。

踊る禅僧。

 

目指してみようかな・・・たぶん日本初・・・


動きまわったり、たまに1つ処にとどまってみたり。

  

身体の中にある星の輝きのことを、

禅の世界では"動く"ことと"たまに止まる"ことの同居だと説明しています。

 

人間の身体にとって自然な状態が、

"動く"ことと"たまに止まる"ことの同居だと説いています。


人間の身体感覚を基礎にしている社交ダンスの世界では、

その具体例をたくさん見つけられそうです。

 

今後も「禅と社交ダンス」の共通点について、書いていければ、と思っています。 

 

今回はこの辺でzzz

2009/09/22

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