社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#9 二人で一人 

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≪岩場で毛づくろい。2羽で一緒に同じ時を生きています。≫ 

体幹。

という言葉があります。

体の幹。
インナーマッスル。
コアの筋肉とも言われます。

プロ野球のピッチャーが、豪速球をリリースする時。

プロゴルファーが、豪快なティーショットを打つ時。

プロスポーツを語る上でよく使われる言葉です。

パフォーマンスをする時に、
身体の外側にある筋肉ではなく、内側にある筋肉を使う。

そういう文脈で使われることが多いようです。

ところで。

社交ダンスは、2人で踊ります。

2人で踊るということは、
2人にとっての中心軸、
というものを考える必要があるということです。

2人にとっての体幹、
というものを考える必要があるということです。

社交ダンスの世界では、
そうやって作られた2人にとっての体幹、中心軸のことを
コモンセンターと呼んでいます。
もしくは、ただのセンター。

これは、1人の人間にとっての体幹に対応します。

ちょっと、ファンタジックに言うと、

独立した2人の人間が、
メタモルフォーゼして新たな1つの生命体になる。

といったところでしょうか。

新たな生命体になるんだからそれ以前の常識は通用しない。

1人だった時のバランスは消滅して、
新しいバランス感覚に移行する。

そんな、認識上のシフトが必要になってきます。
もちろん、身体上のシフトも。

独立した2人の人間が各々に強靭な体幹を作り上げる。

確かに。

それも大切ですが、
それだけでは、うまくいかない踊りです。
社交ダンスは。

2人の人間が、ワンピースになる必要がある。
2人の人間が、1人の人間として、
新たな中心軸を作り上げる必要がある。

社交ダンスでは、そんなことを考える必要があります。 

1人で踊る分には、自分1人だけのバランスを考えれば良い。
でも、2人で踊るには、それだけではいけない。

「おれが!おれが!」でもいけないし、
「どうぞ。どうぞ。」と相手に譲りすぎてもいけない。

自分の身体の外にはみ出た、2人にとっての体幹。

それを基準にして運動を仕掛け、対応する。
社交ダンスは、そういう踊りです。

このことは、
社交ダンスに限らずいろいろなものに通じそうな現象です。

例えば。

誰かと会話する時。

自分と相手の言葉が通じる空間を、
自分から少し外にはみ出た所に作る。

自分の身体の中にある、
「言いたいこと」「感じたこと」を誰かと共有するために、
自分の身体から少し外にある
"対話空間"のような場所に提示する。

自分の中から、ぼわぼわとはみ出た輝きを、
同じように誰かがにじみ出した光と出合わせる。

自分にとっての光。
相手にとっての光。

それが出合うときに、
3の人格のようなものが現れて、
新たな輝きとして、光り始める。

そんなイメージを持てそうです。

会話というのは、
自分の身体の外に、対話の空間を作り出すこと。

そのように言えるかもしれません。

2人で何かをするということ。

これは、とても刺激的な試みです。

2人にとっての、バランス軸、センターというものを、
中心に発想する。

自分本位でもなく、相手本位でもなく。
いろんなことに通じそうな考えです。

禅の言葉では何と言うんでしょうか?

みなさんの日常にある出来事を、
「関わる人にとってのセンター」
という観点で見つめなおしてみると、
何かおもしろい発見があるかもしれませんね。

今回はこの辺でzzz

2009/10/14

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