社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#14 感覚を伝えるということ

CIMG2932.JPG
《チャペルから海を臨む。小樽に築かれた港から、遥か北の大地を思います。》


感覚を人に伝えるのは難しいですね。


ぼくは、

社交ダンスを教わり、教える仕事をしているので、

それを素材に感じたことを書きたいと思います。



社交ダンスを教える時、教わる時、

いくつかの方法があるようです。



            効果音を多用する。

            身近な例えを引用する。

            論理的な言葉で語る。



などなど。



ぼくは、以前、


教えるスキルというものが、

この順番に発展していくものだと考えていた時がありました。


これをモデルに、指導者の資質を査定していたように思います。


言い換えると、


ダンスを教える時に、


「ぶわーっ」とか、

「ドンッ」とかいった言葉を多用する人は、

その動きについての理解が、その人の中で浅く、

教える技術が未熟なのだと考えていた、


ということです。



ぶわーっとしか言えない人は、

その人の中での咀嚼が少なく、

教える者として未熟だと。



逆に、


理路整然と語る人ほど、

信頼に足る、成熟した指導者だと。



確かに、今もそう思っているところはあります。

でも、前と少し違います。

以前ほど、そう強くは思わなくなりました。



「言葉にする」ということに対して持っていた、

絶対的な価値が揺らいだ、


とでも言えるでしょうか。



むしろ、


言葉にすることで捨てられてしまうもの、

抜け落ちてしまうものが出てくるということに、

実感として気付いた、


という感覚です。



身体の感覚を伝えるのは難しいですね。

本当に。



      肩甲骨と股関節を連動させて、

      1つの平行四辺形を変形させるように

      背中を使う感覚を味わってほしいんだけど、

      この人はそう感じているんだろうか。



      背中の真ん中あたりが、

      痛いような張るような感じがするんだけど、          

      この動きをする上で、これは正解なんだろうか。



      昨日より、身体がぼわーっと熱を持っているような感じがするんだけど、

      これって、正常なんだろうか。




こういうのが正直なところだと思います。



とてもあいまいで、はっきりしていなくて、

つかみどころがなくて、イメージしにくくて。


ぼく達の身体感覚と言葉の関係は、

そういった、もどかしい関係のようです。



あいまいだ!と言って、怒り出す人もいるかもしれませんね・・・

きちんと伝えなさい!と。



でも、それには限界がある。

身体感覚を、ピンポイントで言葉に変換することには限界がある。


という認識の上に立ちたいと思っています。


ぼくはそう思っています。



だから。



身体感覚を、


世の中にある、レディ・メイドの言葉にすべて置き換えようとするのではなく、


「ぶわーっ」としか言いようのない感覚もあり得る、

むしろ、「ぶわーっ」でないと、正しく伝えられないこともあり得る、


ということを前提にして、

その時々に応じて言葉を使い分ければ良いんじゃないか、

と思っています。



あいまいでも良い。

分かりにくくても良い。

その感覚の周辺しか言葉にできなくても良い。


そう思います。


だからこそ、人によって解釈の幅が微妙に異なってくるんだと思います。

だからこそ、そのズレがおもしろいものを生み出すんだと思います。



言葉以前の感覚を、

「何か」という不定形のまま、

観察し、愛でることをもっともっとしていきたいと思っています。



言葉に直す、名前を付ける、ということは、

それ以外のものである可能性を排除する面も持っているのですから。


今回はこの辺でzzz




2009/11/25

コメントする