社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#17 未来と現在2-"未来が現在を食う"という考え方

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≪クリスマス・イヴを控えた教会。周囲の音を吸収しながら、静かに雪が下りてきます。≫

 

 

みなさん、こんにちは。


クリスマス・イヴです。

 

雪に覆われた札幌の街は、

この日のために用意されたかのようです。


昼の間、かすかな陽光に解かされた地上の雪が、

 

日が沈む頃に舞い降りる、

さらさらとした天からの雪によって、

また別の形に修復される。


 

イヴを控えたこの1週間は、

そんな光景の連続のようでした。


中心部のイルミネーションに代表される、

きらびやかで美しい一面と、

 

住宅街に広がる、

全てを包み込むような静謐をたたえた一面。

 

 

どっちの面も、

 

 

という要素なしには語れないもののようです。



さて。



前回は、


              目標を持って、それに向けて、今、行動する。

 

 

という、

 

何かを成すうえで、

いわば常識となっている態度について、


 

             こういう「模範解答」があるにも関わらず、

             なぜ、それだけでは現実に対処できないんだろうか。


 

という問いかけをしていたと思います。



なぜなんでしょうか?

なぜ、「今」に執心できないんでしょうか?

なぜ、本番を迎える前から「うまくいかない」可能性に

心を支配されてしまうのでしょうか?



             人間は不安になる生き物だからなんだよ。

 

 

という言葉だけで、

理解したということにしたくはありません。

 


まして。



             意志が弱いからだ。

             心が弱いからだ。

             我慢が足りないからだ。



そういった、

自己責任論のような強弁に

回収したくないとも思っています。



自分の発する言葉が飛んでいく先の

見通しを良くするために、

こういうことを考えてみたいと思っています。


 

なぜ、「今」に集中できないか。

なぜ、「前後裁断」できないか。



では。


それを考える前に、



                「今」に集中できない状況とはどんな状況か。

 

                「前後裁断」できない状況とはどんな状況なのか。


 

について考えてみたいと思います。


 

                現在が未来を食う

 

 

という表現があります。


わりとよく耳にする表現だと思います。



               現在の世代の利益ばかり追いかけて、

               将来世代にそのつけをまわしてはいけない。


とか、


               今この瞬間の快楽を追い求めてばかりだと、

               将来たいへんなことになるよ。


とか。


 

どれも、

 

やがて来る「未来」というものを

より良いものにするために、

「現在」を規律して慎ましくすべき、

 

というロジックのようです。



しかし。

 

「未来」とは何でしょうか?

どこにあるんでしょうか?

どういうプロセスで目の前に現れてくるものなんでしょうか?



中島義道さんは、


       時間とはわれわれが世界に付与した単なる「意味」なのであり、

                 ・・・(中略)・・・

       したがって、それは崩壊することが可能なのであり、

       われわれの態度によって変化する事も可能なのである。

 

                           (『生きにくい...私は哲学病。』角川文庫 p.76)

 

とした上で、

 

「未来はない」と喝破しています。


 

現在を生きる僕たちには見えていないだけで、

どこかに、既に決定された未来が控えている


という考えを否定しています。


とても新鮮です。


 

社交ダンスの世界に即して考えると、

 

 

                練習した通りにうまく踊れるに違いないよ。

                たくさん練習したけど本番は失敗するかもしれない。



そういう、

既に決定された未来像を前提として、

 

それに対して抗おうとしたり、

修正したりしようとする態度を

批判的に語る表現のようです。



つまり。

 

 

不定形の「未だ無い、まだ存在していない」ものに振り回されて、

今、この瞬間、楽しむべき、愛でるべき状況に「未来」の影が射しているということは、

 

              未来が現在を食う

 

 

という可能性も出てくるということだと思います。

 


 

              目標を持って、それに向けて、今、行動する。


が、

 

あるどこかの時点で、

 


 

              未来が現在を食う


 

という状況に転化してしまう。

そんな時があるんじゃないか。

 

そう思いました。



              「この振り付けの時は、

               こういうタイミングでこういうアクションで踊ろう。」


と言って、

あらまほしき未来を志向して行動していたのが、


 

              「この振り付けの時は、

              きっと失敗してしまうだろう・・・」


 

という、

あってほしくない未来が

現在の思考や行動を萎縮させてしまう力に転化してしまう。



そんな時があるんじゃないかと思いました。



言い換えると、


現在を駆動するエンジンだったものが、

現在の行動を抑圧する圧力に転化する

 

ということです。



とても不思議な現象ですよね。


 

「一緒にがんばろう!」と手を取り合った朋友が、

3秒後に、

「やっぱ嫌だ。」と言ってくるようなものでしょうか。 



次回は、「今」に集中できない原因論について少し考えてみたいと思います。


 

今回はこの辺でzzz

 

2009/12/24

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