≪天蓋に踊る3人の天女。岩内の帰厚院にて。笛を手に、着物のすそをたなびかせて。≫
みなさん、こんにちは。
札幌は雪が降りました。
風も冷たく冬に逆戻り。
東京はお花見でしょうか。
日本は広いですね。
先日、生徒さんからこんなお話を聞きました。
芸術には、どうも2種類あると思うんです。
結果を見せるものと過程を見せるもの。
なるほど...
その話を聞いた時、何やら興奮してくる予感がしました。
その生徒さんは油絵を描く趣味を持っています。
絵画っていうのは、出来上がったものを見てもらうでしょ。
でも、ダンスは、踊っている過程を見せるものですよね。
つまり、絵画は結果、ダンスは過程。
何たる洞察!
その生徒さんは、自分の携わる絵画とダンスを見比べて、
「見る」という観点から、芸術をこんなふうに定義したのです。
ぼくは、そんな視点で自分が今行っている営みを、
かえりみたことがありません。
テンションの上がったぼくは、他の例も考えてみました。
結果を見せるのは、絵画、華道、映画、小説...
過程を見せるのは、ダンス、音楽、茶道...
いや、でも、音楽はライブじゃなくてもCDとかもあるし。
CDは結果だよな...
などなど。
出来上がったもの、つまり結果を見てもらうことが前提となっている絵画は、
創作過程で寝っころがって描こうが、お菓子をもぐもぐしながら描こうが、
作品の価値には関わらない。
基本的に出来上がったものが全て。
作り手の外見や性癖、経歴なんかは、事後的に加味されるファクター。
一方、ダンスやコンサートは、
まさにそれが踊られている瞬間、演奏されている瞬間が作品。
1つ1つの所作が創り出す雰囲気、世界そのものが作品。
鑑賞するスタイルはライブ。
生産物としての静止したものを提示する芸術とは別のもの。
そんな分類ができそうです。
これは、他にも言えるかも。
そんなことを考えてみます。
例えば、動物園。
こんなん育てました!
と言って、
大人のシロクマやペンギンが、
おりの中にスポン!と出てきてもおもしろくない。
育てた、という結果より、
今まさに育てています!
という過程そのものの方がおもしろい。
そう思います。
シロクマの子どもが生まれて、
親のシロクマがなんやかんやと付き添って。
そして成長する姿を見て。
そういう方がおもしろいと思います。
ぼくは。
動物園が、過程を見せるものだとすれば、
博物館のはく製は、結果を見せるもの(かな?)。
では、人間についてはどうでしょう。
人間を1つの芸術作品だと見るならば、
どっちに分類されるんでしょうか。
結果を見られるもの?
過程を見られるもの?
ある人が他のある人を見るとき、
どっちの視点で見ることが多いんでしょうか?
「何かを成した人」として見るのか。
「何かを成そうとしている人」として見るのか。
どう見るかでその後の態度も変わってきそうです。
でも。
結果とは何でしょうか?
仕事上の成功?
就職とか結婚とか?
もっと先に行って、死?
では過程とは?
日々の生活態度?
う~ん...よく分かりません。
ただ。
自分の人生を周りの人にどう見てもらいたいか、
自分という作品をどのように見てもらいたいか、
そういうことを考える時に、
自分にとって何が見てもらいたい「結果」で、
何が見てもらいたい「過程」なのか、
を具体的に挙げていく作業は、けっこう役に立ちそうな気がします。
ダンスの先生というのは、人に見てもらうことが常なので、
「見られる」「演出する」という点から、人生について考えてみました。
今回はこの辺でzzz
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