社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#22 プロダクトとプロセス

 

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≪天蓋に踊る3人の天女。岩内の帰厚院にて。笛を手に、着物のすそをたなびかせて。≫

 

みなさん、こんにちは。


札幌は雪が降りました。

風も冷たく冬に逆戻り。


東京はお花見でしょうか。

日本は広いですね。


先日、生徒さんからこんなお話を聞きました。


        芸術には、どうも2種類あると思うんです。

        結果を見せるものと過程を見せるもの。

 

なるほど...

 

その話を聞いた時、何やら興奮してくる予感がしました。

その生徒さんは油絵を描く趣味を持っています。

      

        絵画っていうのは、出来上がったものを見てもらうでしょ。

        でも、ダンスは、踊っている過程を見せるものですよね。

        つまり、絵画は結果、ダンスは過程。

 

何たる洞察!


その生徒さんは、自分の携わる絵画とダンスを見比べて、

「見る」という観点から、芸術をこんなふうに定義したのです。


ぼくは、そんな視点で自分が今行っている営みを、

かえりみたことがありません。


テンションの上がったぼくは、他の例も考えてみました。

         

        結果を見せるのは、絵画、華道、映画、小説... 

        過程を見せるのは、ダンス、音楽、茶道...

 

        いや、でも、音楽はライブじゃなくてもCDとかもあるし。

        CDは結果だよな...

 

などなど。

 

出来上がったもの、つまり結果を見てもらうことが前提となっている絵画は、

創作過程で寝っころがって描こうが、お菓子をもぐもぐしながら描こうが、

作品の価値には関わらない。

基本的に出来上がったものが全て。

作り手の外見や性癖、経歴なんかは、事後的に加味されるファクター。


一方、ダンスやコンサートは、

まさにそれが踊られている瞬間、演奏されている瞬間が作品。

1つ1つの所作が創り出す雰囲気、世界そのものが作品。

鑑賞するスタイルはライブ。

生産物としての静止したものを提示する芸術とは別のもの。


そんな分類ができそうです。


これは、他にも言えるかも。

そんなことを考えてみます。

 

例えば、動物園。


         こんなん育てました!

 

と言って、

 

大人のシロクマやペンギンが、

おりの中にスポン!と出てきてもおもしろくない。


育てた、という結果より、


         今まさに育てています!      

 

という過程そのものの方がおもしろい。

 

そう思います。


シロクマの子どもが生まれて、

親のシロクマがなんやかんやと付き添って。

そして成長する姿を見て。

 

そういう方がおもしろいと思います。

ぼくは。

 

動物園が、過程を見せるものだとすれば、

博物館のはく製は、結果を見せるもの(かな?)。


 

では、人間についてはどうでしょう。


人間を1つの芸術作品だと見るならば、

どっちに分類されるんでしょうか。


 

        結果を見られるもの?

        過程を見られるもの?

 

ある人が他のある人を見るとき、

どっちの視点で見ることが多いんでしょうか?

 

 

        「何かを成した人」として見るのか。

        「何かを成そうとしている人」として見るのか。

 

どう見るかでその後の態度も変わってきそうです。


でも。


結果とは何でしょうか?


     仕事上の成功?

     就職とか結婚とか?

     もっと先に行って、死?

 

では過程とは?

 

     日々の生活態度? 

 

う~ん...よく分かりません。


 

ただ。


     自分の人生を周りの人にどう見てもらいたいか、

     自分という作品をどのように見てもらいたいか、

 

そういうことを考える時に、

自分にとって何が見てもらいたい「結果」で、

何が見てもらいたい「過程」なのか、

を具体的に挙げていく作業は、けっこう役に立ちそうな気がします。

 

ダンスの先生というのは、人に見てもらうことが常なので、

「見られる」「演出する」という点から、人生について考えてみました。

 

今回はこの辺でzzz

2010/04/16

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