社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#23 "心配"にひそむ圧力

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《朝6時。門別港(苫小牧の近く)で海釣りです。釣れません・・・》


みなさん、こんにちは。

どんな営みもそうだと思いますが、

社交ダンスの先生は体が資本です。

 自分の代わりがきかない仕事です。

 

生徒さんのほとんどは、

その先生じゃないと習いたくない、

と思っている方が多いです。

 

だから、

体を壊してしまうと、レッスンをお休みするしかい。

「今日は体調が悪いから、ぼくの代わりにこの先生に習っててね。」

というのは通用しにくい。

 

なので、

体調管理というものが、

ほとんど義務としてとらえられています。

 

体調管理はプロとしての責任。

という言説が支配的。

自己責任です。

 

ただ、

この言葉の使い方、

使われ方をもう少し丁寧に見ていきたいと思っています。

 

例えば、誰かが病気になったとき。

 

心配する言葉をかける。

それはあたり前なんですが、

その言葉が、

相手を追いつめる圧力になっているときがあると思います。

確実にあると思います。

 

ぼくはそういう圧力を他の人から感じたこともあるし、

逆に人に対して感じさせてきたとも思います。

 

だいぶ昔ですが、

同業のダンサーが病気になった時のことです。

 

相手を心配する心から、

自分で病名やその症状やその治療を専門に扱う病院を調べて、

お医者さんに連絡して、

これこれしかじかと相談しました。

 

その後に、

そのダンサーに、

「あなたの病気はお医者さんの世界でこういう名前で

言われていて、こういう治療が必要らしい。

だから、近いうちにその病院に行った方が良い。」

といった、

"助言"をしたことがあります。

 

すると、そのダンサーは、

「君のせいでよけいに病気になる。」

ということを言いました。

 

正しいことをしていると思っていた自分にとって、

その言葉はまさに青天の霹靂でした。

 

振り返って思うと、

心配する心が間違っていたのではなくて、

その心の外への出し方に誤りがあったと整理しています。

 

つまり、相手にとっては、

 

自分の症状をどうとらえて良いか整理しきれていない不安定な時に、

周りで、なんやかんやと動き回り、

「あなたはこんな病気なんだ!」と無神経に指摘する者がいる、

という状況だったんだと思います。

 

「心配する」という大義名分のもと、

不安定な心に、ずかずかと踏み込んでくる者がいた、

といったところでしょうか。

 

相手が、呼吸を整えて自分の身体を見つめようとしている横で、

「あれした方が良い!これした方が良い!」と、

息を荒げて1人でテンションを上げていたんだと思います。

 

同じようなリズムで、同じように事態に臨む。

そういう態度が必要だったのかな、

と今は反省しています。

 

相手を心配すること自体は間違いではない。

それを表に出して、

いたわりの言葉をかけたり、

対策を考えることも間違いではない。

 

ただ、

その言い方やタイミング、何をどこまで表に出すかといった、

具体的な方法については、よくよく考える必要がある。

 

そう思っています。

使われ方によっては、

薬にもなるし毒にもなる。

 

「心配する」という行為が無前提に正しい、

というのはフィクションだと思います。

 

自分の言動がどのような圧力を代弁しているのかについて、

もう少し自覚できれば、

人に対する接し方も良い風に変わるのかな。

そんなことを思います。 


今回はこの辺でzzz

2010/05/10

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